ダイナミックなお芝居で古典もスーパー歌舞伎でもご活躍の市川右近さんが81年ぶりに市川右團次を襲名なさいましてこの方 今右團次さんでいらっしゃいます。 お父様のお名前を継いで市川右近さんにおなりになりました。 「私が41年間 温めてまいりました市川右近の名を継がせまして「いずれも様に ひと言ご挨拶を」「この度 父の名跡 市川右近を可愛い。
でも あの時右近で出てなかったけどもう 右團次になってたの?あの時は。 あの時は もう右團次になっておりました。 ハハハハッ。 から揚げ? ハハハッ。 どうですか?歌舞伎俳優になった気分は。 ハハハッ いえいえいえ。 でも 歌舞伎のお稽古とか厳しいでしょ?泣いたりしない?はい。 感極まって… 芝居の稽古で感極まって泣くという事はあったんですけれども。 ハハハハッ。 お稽古したの?お稽古はしたの? 随分。 その時は 『義経千本桜』の…。 ほぼほぼ1時間半弱ぐらい足フラフラすると長袴ですから目立ちますしね。
「9歳の時にその狐忠信を見ちゃった?」「はい」「猿之助さんの?」「ええ」「そしたら もう憧れの人になっちゃったの?」「取りつかれるようになりました」「僕大阪住まいなんですけれども…」「その頃はね 小学校の頃」「京都の南座で出てましたので「でも 中学1年生でいくら憧れとはいいながら東京にいらっしゃった時は心細くなかったですか?」「寂しかったですね」「ねえ」「非常に ええ」「だって中学1年生でしょ まだね」「それで 中学 高校 大学と…師匠が慶應出ておりますんで僕も慶應に受かりましたんでね」「よく受かりました
3代目市川右團次というお名前はどこから来たの?はい 元々 市川海老蔵さんが…。 「右團次っていう名前が市川宗家にありますけれども右近さん 右團次どうですか?」というふうにお声がけしてくださったんです。 そもそもは市川右團次という名前は関西の名跡である事。 そして市川右團次というお名前の初代さん2代目さんっていうのは師匠 2代目猿翁が得意としておりました外連演出。 3つ目は単純に市川右近の「右」と市川右團次の「右」が同じなので…。 海老蔵さんが その3つをもって右團次という名前をお薦め頂いたんです。
実は 4代目の猿之助さんお小さい頃に彼にやらせて頂いた役をやってらっしゃるんですね。 その時には師匠の3代目猿之助と7代目菊五郎さんと一緒に飛んでらっしゃるんですよ。 まだ… 一番最初のまだ飛ばない時のお稽古では少し緊張したけど…。 そしたら 毎日毎日できてお客様が拍手してくださって上から?はい。 右近さんが隈取をした写真があるそうなんでちょっと見せて頂いていいですか?はい。 これは 何の役の時?歌舞伎の子役っていうのはやっぱり安徳天皇とかああいうので出ますとその時にちょっと隈取してって…。