今も愛され続ける沢村貞子さん。 そこで 今日は こちらに座ってらっしゃる方なんですけど40年間 沢村貞子さんのマネージャーをなさった方で皆さんわかって差し上げてください。 本当は とってもショックな事なんですけどここに 本当は津川雅彦さんも 今日いらして一緒に 母さんの話をする事になってたのに雅彦ちゃんも あんな急にね亡くなっちゃうなんて思ってなかったんでねビックリしました。 母さんがいて加東大介さんがいて澤村國太郎さん それは津川さんと長門さんのお父さんですよね。
ちょっと42年前の『徹子の部屋』の沢村さん見ていただいていいですか?「で 沢村の母さん私は この前も申し上げたけど“母さん”って いつも呼んで大変 尊敬をして人生の達人でいらっしゃるんだけど」「それは 先に生まれてるからよ」「これ… ほら なんていうの?吉原つなぎ?」「刺し子になって非常に暖かいものでございます浴衣地で」「シャレたの着てるわ」「母さんに合わせて ちょっと少しでも粋に 粋に…」「“行き”ばかりで 帰りがないって言うの こっちはね」「そういう事が パッと出るのね」「そういうわけじゃないけどそう
でも とにかく母さんが毎日書いた『献立日記』っていうのは大変有名で… 27年かな?27年間 毎日書いた。 ノートも表紙も全部自分で装丁…。 これ カレンダーかなんかのねいらなくなったので捨てるようなのを表紙にしてそこで 全部手書きで母さん書いた。
「ただ その…今 おっしゃったように父さんの方には 家庭もありしかも 子どもがいた」「あちらのおうちにも いろいろ…母さんは働いてお金をお渡しになったりして本当の夫婦になったのって随分あとになってからなのね」「私が初めて会ったのは38歳でしたけどそれから どうしても一緒になりたいと思ってから向こうに子どもがあったりしたんで子どものお父さんを取るわけにいかないっつって取らないように…一緒になるのはやめたりして結局ね 60になったの」「そうでした…だから私…」「60になるまで せっせと働いてあちらのね言うなり