第33回民教協スペシャル 想画と綴り方 ~戦争が奪った子どもたちの“心”〜

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この番組のまとめ

はい これが国分一太郎先生が指導なさった文集の入ってる箱でした。 江戸時代に置かれた陣屋のお堀に囲まれた昭和7年 光二さんは長瀞尋常小学校に入学。 光二さんは3年生の時国分一太郎先生に出会い「まるい木のまん中から泡が 出ている」「けむりがけむたい」「遠くでみそをする音がらがらきこえる」昭和5年 国分一太郎は長瀞尋常小学校に赴任。

彦太郎さんが先生から特に褒められたという山形大学で当時の想画教育の意義を学ぶ講座が開かれました。 長瀞小は島根県 三重県の小学校と共に「三大想画教育校」と呼ばれ昭和7年には全国小学図画展で優勝。 「喜一郎の正直はよいがまだまだ考える人になれ」「義一は だんごのようにころころと大きくなれ」「政芳ははたらく男になれ」「お母さんのいないお前は」「『かえるの声をききながら』菊池政芳」「政芳の家らしい詩」昭和12年 日中戦争が勃発。

「特高警察が花形役者となって時局の舞台に登場していた」「それこそが自分に適した出世の街道でもあると考えた」「生活つづり方を利用して子どもに思想を注入した」とする砂田。 国分は 2年近く身柄を拘束され懲役2年執行猶予3年の有罪判決を言い渡されます。 国分一太郎が検挙された昭和16年旭川師範学校で描いた絵が治安維持法違反とされました。 山形県天童市の学生時代国分の童話に感銘を受けそれが そこに書いてあるんです。