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この番組のまとめ

先月17日、藤田菜七子が東京競馬場で行われたフェブラリーステークスでコパノキッキングは最後の直線、一番外へと持ち出し徐々に前との差を詰めます。 そのうえ、今週から更に藤田の勝ち星がJRA騎手デビューからおよそ3年でG1レース騎乗を果たした競馬界のアイドル藤田菜七子、21歳。 現在、JRAの女性騎手は藤田菜七子1人のため菜七子ルールとも呼ばれる新減量制度。 女性騎手減量制度菜七子ルール導入でレースへの影響は。

どのぐらい違うかあとで言いますが新しい制度だと全ての女性騎手、今はほぼ1人なので藤田菜七子さんのための制度みたいなものですが。 藤田菜七子騎手の場合どうなるのかというと、1馬身同じ馬が同じ条件で走ったときに1kg減ったら1馬身分、速く走れる。 マイナス1kgでも女性だからマイナス3kgだよというと勝ってマイナス2kgとなるとどうして導入するかということですがこれまで女性騎手は減量がなくなってから騎乗依頼が減少して引退というケースが多かった。

先週、脅迫と傷害の疑いで逮捕された男はこの事件以外にも近隣トラブルを起こしていたトラブルメーカーでした。 39歳の女性が岡山市南区の路上を車で走行中すると、軽トラックも同じ駐車場に停車。 大森容疑者は先週金曜日女性を脅迫し怪我を負わせた疑いで逮捕されました。 逮捕前、テレビ朝日の取材に大森容疑者は…。 声を荒らげて質問に答える大森容疑者。 近隣住民ともめ出した大森容疑者。 実は大森容疑者は軽トラックでの1件以外にも自宅の近隣住民とトラブルを起こしているトラブルメーカーだったのです。

緊急車線とは救急車、消防車など緊急車両が通行するため高速道路などに設けられる路肩部分。 一般車両の通行や駐車は禁止されていて違反すると日本円でおよそ3300円の今回、一刻を争う状況だったにもかかわらず緊急車線を塞いでいた車によって助かっていたかもしれない命が失われてしまったのです。 日本に住むネパール人に向けた自動車教習所を運営し違法に運転免許を取得させていたとしてネパール人のタパ・プスカル容疑者とタパ・アショク容疑者の兄弟が逮捕されました。

そのお金の中からおよそ2900万円を管理する側の協議会の40代の元職員が着服していたことが発覚。 元職員は2015年ごろからほかにも登山バスのチケット代なども着服していたと話しており協議会は被害額が確定し次第元職員を刑事告訴する方針です。 屋久島の環境保全のために作られた組織の元職員の男がおよそ2900万円を着服していたという事件ですがなぜ、この半年もの間それがばれなかったのか。 分からなかったのかということですが協議会の会計担当だった40代の元職員。

閣議が行われたその場所はなんと、日本統治時代の韓国人独立運動家キム・グの記念館。 キム・グは1919年日本統治時代の韓国で三・一独立運動に参加後中国・上海で大韓民国臨時政府の樹立に協力。 そして、昨日3月1日は韓国にとっての独立運動いわゆる三・一独立運動100年の節目で日本への批判が高まる恐れが。 三・一独立運動の記念日は韓国の休日。 今週、反日独立運動家をたたえ更に文大統領の演説では日本に向けたメッセージも。

偏っていますし革命的な価値観の転換を韓国社会にもたらしたいと思っているからものすごいエネルギーで親日残滓の清算ということを繰り返し言ってるんです。 そうすると実際問題文在寅政権は必ずしも親日残滓を清算しようというのが韓国の社会全体を覆っているわけではないですね。 文在寅大統領になって歴史の捉え方というのもかなり、実は変わってるんだということを今のお話からもよく分かりますけれどもそもそも、三・一独立運動は100年前ですよね1919年3月1日。

コンビニ大手のセブン‐イレブンは24時間営業を原則としていますが今月中旬から8都県の直営10店舗で午前7時から午後11時までの短縮営業を実験的に始めることが分かりました。 世界中が注目した米朝首脳会談。 昨日午後3時過ぎアメリカとの交渉が不調に終わって以来ほぼ1日ぶりにカメラの前に姿を現した金正恩委員長。 水曜日から2日間にわたり開催された2度目の米朝首脳会談。 一方、北朝鮮側は日本時間の昨日深夜に急遽会見を開きました。

かつ抽象的なところにとどめておいて制裁の解除とか非核化についての義務をやや抽象的な文言にしておいたところ突然、拡大会議2日目のときに北朝鮮が以前も例があるんですが完全な経済制裁の解除を前面に出してきて口頭で約束しろと恐らく言ったんでしょう。 このままで、アメリカのほうが歩み寄らなかったら北朝鮮は米朝交渉をやりませんよというブラフを駆けたんであって全体としては北朝鮮は米朝首脳会談を今年中にもやりたいでしょうね。

たった1人で常識破りのせんべいを焼き上げる弟とせんべいを華麗にプロデュースする兄の手腕が融合したセンベイブラザーズ。 しかし、せんべい店の下請けをしていた会社の業績は2014年、倒産危機に直面した家業を立て直すため兄は経営者として弟はせんべい職人として父が残した工場の再建に乗り出したセンベイブラザーズ。 兄・健徳さんが最初に行ったのはセンベイブラザーズというブランド名の打ち出し。