関ジャム 完全燃SHOW 【実はあの曲が超大事だった!関ジャム流 平成音楽史】

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この番組のまとめ

今夜の『関ジャム』は平成30年間でプロから見たら実は超大事だった曲。 ♪~そこで 今回は 平成の世に大きな影響を与えた楽曲を3人のプロが明かす。 おなじみヒャダインさん スガ シカオさんそして 番組初登場は松尾潔さん お願いいたします。 私 平成元年生まれなんですよね。 茂雄君はね 平成の曲もたくさん聴いていらっしゃるから。 だから 僕12歳ぐらいなんで 平成元年が。 CHAGE and ASKAさんの『SAY YES』と…。 あっ そうなんや!平成元年ですもんね。

そのあと これがサンプリングっていう文化ですよというのがあったのでKICK THE CAN CREWさんの山下達郎さんの『クリスマス・イブ』をアイドルラップって事になって。 小室哲哉プロデュースのアーティストが次々誕生!そんな中ヒャダインが選んだ実は超大事な曲は?平成8年ミリオンヒットを記録したPUFFYのセカンドシングル『これが私の生きる道』。

「スガさんっぽいな」『イカ天』出身のファンクバンドFLYING KIDSのデビューシングル『幸せであるように』。 「『イカ天』とか知らん…?」「影響力すごい」その中で 僕は ちょうどジャンルが一緒だったんでFLYING KIDS… 衝撃で。 続いては 松尾さんが選んだ現在では音楽のいちジャンルとして定着したR&Bがまだ アンダーグラウンドなクラブシーンにしか知られていなかった平成初期に…。 平成3年に大ヒットを記録したダンス&ボーカルユニットZOOの『Choo Choo TRAIN』。

そして『Choo Choo TRAIN』があってそして trfの『Overnight Sensation』とか。 だから さっきスガさんがおっしゃったファンクって 割とライブハウスとかでやったりするけど彼らは やっぱりディスコとかクラブだからブラックミュージックの 端っこと端っこっていう感じがあって。 そして 他のプロの方々にも平成音楽で超大事な曲伺いました こちらです。 まずは 音楽プロデューサー本間昭光が選んだ実は超大事な曲。 平成19年にリリースされたPerfume『チョコレイト・ディスコ』。

ここからは 平成後半を見ていきます。 続いては平成後半の一般的な音楽史をざっくり おさらい。 Hilcrhymeさん。 ♪~ああ! 鈴木福君も芦田愛菜ちゃんも めちゃめちゃ活躍してますよ まだまだ。 松尾さんが選んだダウンロードやストリーミングなどなく音楽は CDやMDで聴く事が多かった平成の中頃。 それが こちらの携帯電話。 この曲が着信音としてプリセットされたが…。

だけど それをなんとなく1個のジャンルにできる方程式を川谷が持ってるんですよ。 スガ シカオにさえ曲を作る方程式がわからないと言わしめる新しい音楽のジャンルを作り上げた。 もともとは そういったオリジナルの楽曲をのせる場所じゃなかったんですけど。 いろいろありましてオリジナルの曲しか出せない場所になったらこういう風に自分で曲を作ったりボカロに歌わせたりとかする文化になっていったんですよね。

細分化しすぎてるって事?アイドルが好きな人歌い手が好きな人という風にいろいろ分かれてきたのがこの平成の最後だったのかなと思ってますね。 今までだったら路上ミュージシャンとかあと デモテープとか渡したりとかそういう風にしないと新人っていうのは 自分の事…。 だからせいぜい出して 目だけとかっていう人がいてそういった 新人の発表できる場になったっていうのが平成の最後ら辺ですよね。 ボカロの登場によってそれまで 路上ライブやデモテープしかなかったプロへの道が大きく広がった平成後期だった。