「平成30年 4月27日朝丘雪路 永眠」「8月4日 津川雅彦 永眠」「雅彦ちゃんは どこに行くにも真由子ちゃんを連れて歩きました」「5歳くらいからです。 それが二十歳くらいまで続きました」「17~18歳になった頃ボーイフレンドができると全て 雅彦ちゃんはそれを壊していました」今は言えます」「ジメジメしてるの俺は嫌いなんだ」って。 母が結構 子守歌を歌ってくれるんですね。 また 父は父で子守歌 歌ってくれたんだけどこれが また あれ…大きい声なんだって?いや 父は 本当にトーンはちゃんと やっぱり…。
♪~「Well you cancry me a river cry me a river」♪~「もっとつづけたら傷が深くなる」ちょっと 見てみます。 ♪~「Now you say you’re lonely」♪~「You crythe long night through」もともと朝丘さん 歌手だったので女優さんもなさったんだけども初めは 歌手でデビューして。 それにしても 朝丘さんはアルツハイマー型認知症っていうのになったっていうんですけども最後まで歌を歌ってたんだって?そうですね。
「津川さんも もう本当にお嬢様 可愛がってらして」「そうですね だから今 困ってるんですけど」「誰か いつか 電話かかってきてね津川さんが出たんだって」「なんか つい “真由子ちゃんのお父様ですか”っていうつもりで“お父さんですか?”って言ったんだっつったら“お前からお父さんって言われる筋合いはない”って電話切ったっていうからねそれは あなたねめちゃくちゃだって言ったんですけど」「5つぐらいのね 男の子がですよ子どもの頃」「真由ちゃん3つぐらいだったかな?」「公園 遊びに行ったらついてきたの 家まで」「そ
たまたま 父の運転手も連れて行けないっていう状態…父も仕事だったりすると彼に頼むしかないっていうので父が 自分で電話をして。 そういう意味では本当にちょっと 後悔をしたのでやっぱり父が元気な間にって思って母が亡くなってすぐぐらいに話をして。 それで まあ… 喪中なので結婚式は 母の喪中が明けてからゆっくりするとして「俺の あと… 最後の楽しみはお前とバージンロードを歩く事だな」って言ってたんですけどもそれがね…。