ユニセフ親善大使35周年記念 黒柳徹子が混乱のレバノンへ

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この番組のまとめ

突然のクイズで失礼致しました黒柳徹子ですちょっと一度やってみたかったんですレバノンあまり なじみがない国かもしれませんがかつては 「中東のパリ」と呼ばれた美しい街で70年代には日系企業が80社ほどもあったはい お任せください。 学校に通えず 一日中徹子さんは アラビア語の『窓ぎわのトットちゃん』を先日 総理官邸を表敬訪問した黒柳徹子さん。 1984年 アジア人として初めて世界で4番目のユニセフ親善大使に就任した黒柳徹子さん。

レバノンに12カ所あるパレスチナ難民居住区の1つブルジュ・バラジネ。 驚きました人々は電線の中で暮らしていました住人が 次から次へと増え続けているため建物は増築に増築を重ね電線もその場しのぎで増やされました垂れ下がり切れてしまった電線や配水管の漏水を修理する余裕もなく感電で命を落とす人が後を絶ちません絡み合った電線が難民問題の複雑さを象徴しているようですここで生まれ育ったパレスチナ難民の女性を訪ねました。

ハウ オールド イズ ヒー?トゥエルブ イヤーズ チャイルド。 内戦後で混乱するボスニア・ヘルツェゴビナでスパイ容疑をかけられ拘束された事もありました今 お巡りさんですかね 来て…。 軍事施設を撮影した疑いで3時間拘束されここ おわかりだと思いますけれどこれで渡って行ったんです。 ♪~「私は 徹子と申します〜」親善大使就任以来全身全霊で 毎年のように世界の子どもたちに寄り添ってきた徹子さん。 親善大使の仕事はもう無理だろうと誰もが思いました。

だから 今回のレバノン訪問は徹子さんにとって特別なものでした。 シリア危機以降多くの難民が 山を越えてレバノン側に逃れてきました。 そのため シリア難民は様々な支援団体の力を借りて簡素なテントで暮らしています。 そうすると中東 レバノンでシリア難民のキャンプを訪ねた黒柳徹子さん。 日本政府からの支援金が飲料水のタンクと仮設トイレとなってシリア難民たちの暮らしを支えています。 中東のレバノンで公立学校を訪ねた 黒柳徹子さん。