徹子の部屋 五木ひろし

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この番組のまとめ

で この元気の源というのが色々ありますがこの… チャチャとムームーっていうんですって?はい。 こっちがチャチャ ムームー。 じゃあ チャチャが親?はい。 僕の5をバックナンバーにして背中に。 でも ラッキーナンバーが5という事で55周年という事で今年は 特別な年なんですって?プロの第一歩を踏み出したんですよ。 チャチャちゃん どうしたの?私の事 見てるけど。 でも 苦節5年これが最後と出場なさった『全日本歌謡』…。

最後にプロの先生方に評価して頂いてもし 落ちる事があったらもう 僕 歌手 辞めようと思ってたんですよ。 それで もう まさに勝負を挑んだんですけれど結果的に そこで10週勝ち抜いていわゆる勝負に勝ったわけですよね。 それで 2週目に山口洋子先生がいらしてたんですよ。 その番組っていうのは視聴率も いいもんですからプロモーションで出る人も何人かいたんですよ。 僕が だから 翌年に『よこはま・たそがれ』が出てそして 昭和48年… 2年後に彼らが出てきたんですよ『神田川』で。

お一人は お母様のキクノさんでいらっしゃいます。 女手一つで本当に…4人の子供を 苦労してお育てになったお母様。 でも お母様は福井から上京してあなたの身の回り 全部やってくだすってたんですって?最初は 来るつもりなかったんですけどね。 僕 日劇っていう所でね 当時五木ひろしになって半年後にワンマンショーやったんですよ。 そういう意味では まあ少し親孝行できたかなと思ってますけどね はい。 それで その55周年を支えた2人目の女性は1989年ですか?ご結婚になりました奥様。

それで まあ 結構期待されてましたんでね 彼女も。 何よりもねちょっと風邪気味だとかねちょっと調子が悪いとか。 だって 人間ドックの時もあなた 怖がりでなんだか駄目なんでずっと 奥様にいてもらうんだって? そばに。 そういう病院へ行く事も 全部女房がスケジュール決めますんで。 僕は もう全然苦手なんですけど。 ハハハハ! 本当?それで 僕 3回ぐらいチャレンジしたんですけどね。 いや 僕 閉じ込められるとかね…閉所と高所の恐怖症あるんですよ。

誰でしょう? えっ?♪~「よこはま たそがれ」「もう私も五木さんのモノマネで生活させて頂いております」「もう本当に色々とお世話になって五木さんみたいに優しくして頂きもう本当にありがたく思っております」「五木さんのロボットやっていいのかどうか迷ってる時に五木さんは“いいよ”っていうふうに言って頂きましてその事が本当に…もう本当にありがたくてこれからも すいませんマネをさせて頂きますんでちょっとだけやらさせて頂きます」お願いします。