徹子の部屋 追悼特集①

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この番組のまとめ

元JICA理事長元国連難民高等弁務官の緒方貞子先生。 芸能界にお入りになった一番最初もなんか あれなんでしょ?そうなんです。 そういうのがなんか1年ぐらいあって日曜日 ボケーっと 新聞…。 新聞なんか興味なかったからそれを虫眼鏡で こうやって…。 ボケーっとして 新聞 広げて太陽の光線のとこに虫眼鏡をやってボケーっと新聞を焼いてたわけね。 そんな事やっててふっと気が付いたらね「15歳以上ならばよい 劇団員募集」っていう…。 いろんな…俳優座の養成所を出た人とかあらかじめ 下準備のある人たちが来てるから。

対人恐怖症っていうか テレビ局へいらっしゃるようになってもその舞台のお仕事とかテレビの方 映ってもなるたけ人のいないとこいないとこいらして。 だから 自分の出番以外はもう そこへ行ってあの方… マネジャーの方ですか?はい。 割と 仕事で行ったのもあるんですけど今 最近は 本当に…なんて言うのかな?行った所はキューバとかパレスチナとかミャンマーとか東ティモールパプアニューギニアという感じで。 現在 放送中の『やすらぎの刻』でもお元気な姿を見せてくださった山谷初男さん。

今 それ 何を作っていらっしゃるところなんですか?余り物の毛糸で チョッキです。 あっ 本当 チョッキ…。 旅館でも貧乏?うん。 シャンソンは どのぐらいやっていらっしゃるんですか?シャンソンっていうよりなんて言うのかな。 フォークっぽいシャンソンっていうか なんかいろいろ…シャンソンだけじゃない。 シャンソンは たまになんか 歌い方がシャンソンっぽく聴こえるんじゃないですか?俺が歌うと。 角館弁で これからシャンソンを歌っていただこうと思っております。

ああ そう!だから 僕女の子に電話かけるよりラブレター書く方が得意でした。 ラブレターはじゃあ 方々散らばってます?僕もね… この前も神戸で見せられて赤面しました。 それなのに よく10代にもらったラブレターを取っておくものですね。 私を 「ユニセフの親善大使に」と推薦してくださいました緒方貞子先生も今年 お亡くなりになりました。 これは アメリカです。 緒方先生小さい時 愛嬌 良かった。 7カ月ぐらい?まあ そういう事で お父様が外交官でいらっしゃっておじい様も外交官でいらっしゃって外務大臣をなさって。

そこに持ってきて 旦那様が銀行家でいらっしゃるんですがいい旦那様ですね。 本当に もうねこの旦那様なくしてねスイスに 10年間…出たり入ったりは あってもいらっしゃったでしょ?その時 1回 お会いしたのよ。 「これはね… これは絶対ね30万 払っていいもんだからねいい映画のビデオ録ってあるでしょ?それを ボーンとスイッチ入れて…スイッチ入れてそれ 終わるまでこうやって見てるわけですよ。

で あいつらが まあ80か90か70か 知りませんが死ぬ寸前まで僕がミイラで生きててあいつらが 死の床にいる時に僕が すり寄っていって 耳元で「あのお父ちゃんとお母ちゃんが芸能人やったからお前らも芸能人になったけども芸能人やって今 お前 死ぬけども本当に 人生 幸せやったか?」っていう事を聞きたいんです。 「父 母が芸能界にいたんで僕らも芸能人になって本当に幸せだった」っていう言葉を聞きたいんです。