徹子の部屋 柴田理恵

戻る
【スポンサーリンク】

この番組のまとめ

今… ずっと教員だったんですけどもそれを辞めてから保育所とか 小学校とかにお茶を教えに行ったりね。 2年前に『徹子の部屋』でお母様が要介護4から1になったっておっしゃった…。 次の日に家に週刊誌の人がやって来て私 何も悪い事してないのになんで 週刊誌の人が来たんだろうと思ったら「なんで 要介護4から1になったんですか?」って。 介護の査定みたいのがあって。 で 本当に杖を突きながら…こう 介護しながらですけど自分で おトイレも行けて。

そうすると 外 出しておくとご近所の人とかが自分たちが出すついでにパッと家の外のプラスチックのでっかいのを見てくれてあっ 入ってるって入ってたら持って行ってくれるし。 近所のバーベキュー大会があるっていうんで私 たまたま電話したんですよ。 そしたら 「今日はね 近所のねバーベキュー大会に行くが」。 「なんで?」って言ったら「お母さん 実は二日酔いだったんだよ」って。 それで二日酔いになった?二日酔いで。

でも 年末に お母様と飲みにいらしたんですって?はい。 それで 富山の思い出の飲み屋に一緒にいらしたんですって?そうなんですよ。 こんなビールお母様お飲みになるの?飲んだんですよ。 だから これが今生の…今生の最後の…。 でも お母様元気そうじゃない ねえ。 でも 年始年末というものはほとんど皆さん飲んでる…。 私 いつもスッピンだからごめんなさい。 スッピンなんだけど頭の結い方があなたっていうのがちょっと わかんない。 でもね お母様すてきなのね御髪がね。

でも お母さんの心が元気なうちはしかも これ古いカレンダーやなんかでね。 私 このカレンダーね…和紙の芹沢先生の…。 私 このカレンダー取ってるんですよ 家で。 あの一番右の上の方はなんなんです?あれはね 豆腐。 お豆腐?お豆腐を そのまま…ほら 塩コショウかけてオリーブオイルかけると…。 でも ちゃんと写真撮っとくのねあなたも こうやって。 今は写真撮って…。 子供の頃からお料理はなさったの?はい。 共働きだったのでなるべく自分の事は自分でやるように。

「ここはですねかつて 死の庭と呼ばれましてちょうど日陰なので あんまり何も生えないっていうんだけど本当に真っ黒の なんにもない所だったんですけれども日陰で ちゃんと育つっていう植物がいるって事がわかりましてそれで 徐々に徐々に花も咲いて 日陰で育っていく「セリと あそこにもちょっとセリとサンショウの木が生きてるんですけど」「これがね… これ 何かっていうと猫を撃退する機械なんです」「なんでかっていうと ここに葉っぱが何も植わってないとここで猫がウンコするんですよ。

そしたらうちの晴太郎のお友達だった犬仲間の人たちとかも来てくださったりそれからうちの劇団員の若手とかがいつも 飲み屋…飲み屋っていうかうちを飲み屋みたいにしてた子たちがいっぱいいたんでその子たちも集まってくれて。 この晴太郎が亡くなって火葬するまでに 色々まだ しばらく いたりするでしょ。 そうすると 小春は不思議で不思議でずっと におい嗅いで晴太郎なのになってこう やってて。