こちらに 小山明子さんそして 岩下志麻さんでいらっしゃいます。 同じ松竹出身で先輩女優さんで。 だから 極道の妻ではなくて監督の妻たちという事で今日は いらして…。 お二人とも旦那様は監督でいらっしゃるのね。 でも 極道をやってらした時本当に どこか歩いて 車…みんな どうも…姐さん どうもってみんな お辞儀したって…。 それぞれのご主人はですね松竹を辞めて独立をなさってプロダクションをお作りなったっていうところでは一緒でございます。 篠田正浩監督と奥様ですね岩下志麻さんで。
いやいややっぱり 先輩女優さんにねおごってもらうなんてとんでもないので。 お孫さんからの呼ばれ方は小山さんは?私はね ダダと ばあちゃんなの。 岩下さんは?私は志麻ちゃんなんです。 でも あれでしょ撮影現場で ご主人から出てらっしゃる時どんな風に呼ばれてらしたの?岩下さんは。 あなたは?私は小山。 私だけ 小山って言います 大島は。 これ 小山って呼ばれた時?そうそうそう。 小山って呼ばれてた時。 ご結婚になった時 小山さん25歳だったんですって?はい。 大島さんと小山さんの…。
志麻さんは?私は結構松竹に反対されましたね。 2年近く?当時? 私 全然…。 大体のね 女優さんでねそんなさ 同棲なんて当時 なかった言葉だろうけども。 じゃあ もう 当然 結婚すると思ってらしたわね? 志麻さん。 それで そのまま撮影所へ行ったらそこで 志麻さん…。 どこ?どこで?京都の高桐院です。 あっ 高桐院?ええ。 高桐院…。 どこで?どこで作って…?恵比寿に陶芸教室が。 でも この花器はまた全然違う感じだけど…。 小山さんは 馬が…一口馬主っていうの…。 そうそうそう 一口馬主になって。
ラプタス君っていう。 向こうに歩いてるのがラプタスなの?ラプタス。 うちの主人の仏間に4連勝した馬が…馬の写真が飾ってあるんです。 それが終わって主人を見送った途端に 病気をねなんで こんなにするの?っていうぐらい。 でも 本当にお二人とも 共に松竹を退社してプロダクションをお作りになってで 篠田監督は『心中天網島』 お作りになって。 粟津潔さんの…浮世絵の国貞の絵とそれから 浄瑠璃の文字を拡大してそれを床と壁に貼ったんですよ。 ですから ベネチアで大島監督と5日間ぐらいご一緒にお食事させて頂きました。
『儀式』だから 家長制度の話でもう 本当に大勢の人が集まってそこで お芝居があるんですけど大島は あんまりテストをしない人なんですよ。 「お前なんか見てるか」って言ってすごく怒られたんだけど不思議な事に映画の台本を読んでいて私はね テレビね 生番組の…『検事』っていう番組の…やってる最中だったんですよ。 下村一喜さん。 だから いつも私 撮って頂くんですよ下村一喜さんって…。 小山さんは小山さんで大島渚さんの賞が今度 できたんですってね。