大谷私も毎年被災地、訪ねているんですけど行くごとにうんと進んでいるところとそれからすごく遅れているところどんどん格差が出てきています。 小松震災直後から現地に入るなど被災地の今を伝え続けている番組の渡辺宜嗣さんは宮城県の気仙沼市にいます。 復興道路としての三陸沿岸道も宮城県内は全線開通しまして被災地の物流の大動脈となりました。 続いては今回番組では津波発生直後の映像を徹底検証しそこから、絶望のふちから湧きあがった人間の底力を見ていきます。
こちらで見ていきますとまず避難所に設置するパーティションやテントなど密を防ぐための備蓄があるとした自治体が全体の90%以上に上ります。 ただ、そうすると避難所の収容人数というのが減ってしまいますのでホテルなどが使えるように提携、取り組みを進めているということなんですがこうしたホテルなどと提携していると答えた自治体が全体の4割にとどまっているんですね。
これに関して、山村さんはローリングストックという概念をこれは非常用のための防災グッズ物資だけではなくて何かといいますと普段からの生鮮食品を含めた食品を少し多めに買っておく。 使ったらまた買い足すということを繰り返していく循環的に行っていくことがロールするローリングストックだとこういう概念だそうです。 街は去年、駅の周辺などのそちらで廃炉作業が進む一方で増え続ける処理水を巡って福島県内の漁業関係者の間では懸念が高まっています。
風評被害に関しては我々は絶対、自分が加害者にならない。 渡辺10年前私の最初の被災地取材は気仙沼大島でした。 10年前、船しか交通手段がなかったこの離島では気仙沼大島大橋の完成は島の皆さんにとって長年の願いでもありました。 当時、村上さんは津波被害を免れた船でしかし、取材時には連絡先を交換する余裕もなかったため手がかりがないまま、人捜しは暗礁に乗り上げていました。
といいますのは便利になりすぎて島の商店であるとかあの島は観光で食べている島ですから民宿の皆さんとか橋ができたことでこの連絡船が廃止になってそういったコミュニティーの会話というものがどんどん減っていくのではないかということを危惧していらっしゃる方もいました。 大谷さん、このコミュニティーそしてコミュニケーションがどんどん減っていくという辺りは被災地全体が抱えている問題でもありますね。
小松大谷さんのお話にあったとおり今はコロナ禍ということで思うようには被災地にいらっしゃることができません。 大谷かつて、美智子皇后が島で阪神・淡路大震災の時に頑張ろうとやってくださったのが本当に阪神・淡路の皆さんいまだに心に残っているんですね。 10年前の今日また、この地震に伴う津波や原子力発電所の事故により多くの人々が避難生活を余儀なくされました。
この地震は東日本大震災の余震と考えられておりこのことからも震災を過去のこととしてではなく現在も続いていることとして捉えていく必要があるとこの度の大震災の大きな犠牲のもとに学んだ教訓も今なおさまざまな困難を背負いながらもその苦難を乗り越えようとたゆみない努力を続けている人々に思いを寄せ安らかな日々が一日も早く戻ることを小松天皇陛下のおことばをお聞きいただきました。 林続いては新型コロナウイルスの感染拡大が10年前中学2年だった川崎杏樹さん。 今、釜石市のいのちをつなぐ未来館の前に川崎杏樹さんがいます。
渡辺岩手県宮古市田老地区の上空です。 震災後、三王団地が造成され街が丸ごと防災集団移転しました。 およそ3kmも続く巨大ベルトコンベヤーで土砂を運ぶという、被災地でも群を抜く大規模なものでした。 渡辺気仙沼湾横断橋です。 福島第一原発周辺で太陽光発電が284件に上りおよそ232万世帯分の年間使用量に相当する電力がかつて、原子力発電の電気を首都圏に送り続けた福島県から今、再生可能エネルギーの太陽光発電で電気が送られているのです。 東京ドーム5個分の敷地に建設された福島水素エネルギー研究フィールド。