報道ステーションSP 3.11から明日へ

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この番組のまとめ

当番組は同時入力の為、誤字脱字が発生する場合があります。 今日で東日本大震災から10年です。 徳永震災関連死を含む死者・行方不明者は2万2000人を超えています。 大熊町のおよそ6割は今も帰還困難区域で原則、立ち入りが制限されています。 去年、新型コロナの影響で中止となった当時、この辺は崩れた家財などで埋まっていたんですけどこの新聞の販売所に来て2階の部分が私の背丈ぐらいになっていたんですよね。 新型コロナの治療に当たる医療従事者へ感謝の思いも込められました。

その痕跡から確認された最も高い津波は岩手県の大船渡市で16.7mに達していたことが分かっています。 今回、私たちは震災前の街の映像と比較することで津波の威力と、その恐ろしさをお伝えしたいと考えました。 これから流れるVTRには震災当初のPTSD・心的外傷後ストレス障害を起こす恐れもあります。 当初、1mから3mの津波予想が出されましたが水が来たのはひざ下ほどでした。 女川町には14.8mの津波が襲来。 震災前から高田松原を守る活動をしてきた死者・行方不明者は合わせて1808人。

テレビ朝日が緊急放送を開始したのは緊急放送が始まった時点ですでに大津波警報は発令されていました。 太平洋沿岸部に巨大な津波が迫る中岩手県宮古市の情報カメラが津波を捉えます。 また、津波発生時に東京湾沿岸に駐機している各社のヘリが全滅しないよう持ち回りで常に1機を内陸部に待機させています。 2016年にインターネットテレビのABEMAが開局したことで停電でも災害情報を届けられるようになりました。 福島第一原発から30kmの福島県川内村。

例えば、地震のあと私は海岸部の住民に避難するように消防団の人を通してそういう行動をとるようにお願いしたんですがそれがテレビを見ることによって相馬市は、津波で死んだ人がいませんでしたからより現実なものとして皆さんの避難行動を促したというところがあります。 そういった意味では自治体の体制とテレビの報道の間のギャップというものを若干感じるところがありました。 徳永そして被災された自治体のトップとして市長はこれからのテレビ報道にはどんなことが必要だと思われますか。

小木ご覧いただきましたような被災地の変化はウェブサイト「●RECfrom 311」で見られます。 羽生結弦さんです。 その原点を写した1枚の写真をとおして羽生さんの10年間をひも解いていきたいと思います。 氷の上に伏せるように横たわっている羽生結弦さん。 東日本大震災のおよそ1か月後に撮られたものです。 撮影したのは、10年間羽生さんを追い続けてきたカメラマンの能登直さん。 その後スケート関係者の支援を受け各地を転々としながら練習を再開した羽生さん。 松岡羽生さんが演じたのは「白鳥の湖」。