ご自分で絵をお描きになったお着物で登場。 まあ 本当に可愛らしいお着物。 させていただいているという事なので絶滅危惧種とかねそういう生き物を着物に描いて皆さんに 見ていただくっていう。 私 1作目の着物 描いた時にIUCN号に乗ってみんなでね…。 まあ きっかけとなったのはね夫の親戚筋がずっと 京都で着物…それがね 夢だったんですけどもう 約2年かかりましたね。 でも 現在 あなたは8人家族で同居という事で。 ええー!だから もう うちの中ね94歳と1歳半で もう…もう すごい感じで8人家族になってます。
ただ ちょうどですねもう一昨年になりますけど暮れにですね父 母 相次いでね左大腿骨 骨折したんですよ。 「もう 絶対運転しません!」ってもう 怒りまくって車は全部ね 売ってくれたんで安心してたんですね。 うちの父がちょっと 救急車で運ばれたようなんですが…」。 で 「本来は 私が ここのバスに乗ってはいけないんですけれども実は これは嘘でなく父が救急車で運ばれまして母はですね その時に「バカね」って言いながら一緒にお見舞い行ってたんですよ。
だから 毎日ね 私 朝起きるとおにぎりを握ってそれで お茶をペットボトルに…こうね ポットに入れてで 車を運転して 父の所に行って「はい 大丈夫」。 でね もともと 母から「私は入院が嫌いなので最後の最後まで私は うちにいたいから絶対に うちでね いろいろ 在宅で介護してほしい」っていう話をそうなんですよ! それで朝 ごはん食べて そのあとに…また テレビが好きなので一緒にテレビを見て「ねえ ねえ」って言ってると後ろで ガーって寝だすと私は そっと部屋を抜け出して洗濯 干したりとかしてるんですけど。
で ソロの前はご主人とデュオでバンド活動もやってらした。 ただね なんでやってたかっていうと夫はね いつか 自分がプロデューサーになって私をソロにしたいと思っていたので。 いきなりソロでステージ立たせても私は ものすごい引っ込み思案な人間なので無理だろうっていう事で一緒に夫がね 歌ってデュオでシュリークスという事でね歌ってたんですよ。 だから そういう意味では素晴らしいプロデューサーだなと思いますけれどもね。 ただ やっぱりレコーディングのスタジオに作者の伊勢正三さん。
まあ あのね 年に1回ぐらいはIUCNのコンサートとかボランティアスタッフという形でね…ミュージシャンという形で来てくれてたので歌ってたんですけど 全然違和感はないですね。 去年はね ですからプレ50周年で 『原石時代』の…2人のコンサートを9カ所ぐらいですかね予定してたんですけど息子はね 夫が髪の毛ロン毛で長かったんで「無駄に髪の毛を伸ばしすぎた」なんて言ってですね同じようなヘアスタイルで…。 ちょっとね 同じようなヘアスタイルになっちゃって。
最近ね もう 還暦過ぎてからいろんな格好しようという風に思いまして。 だから もうね最近 もう 自分がああいう格好したいなこういう格好したいなと思ったらアイドルの女の子みたいな格好でも なんでもね歌を?はい 歌。 メインが終わっても 一番最後に一番いいデザートがくるのは還暦過ぎてからと思ってるんで。 還暦過ぎの方デザート世代と呼んで…。 今日はね ちょっとね徹子さんにサプライズでね宝物を持ってきたんですけどいいですか? 出して。 「黒柳徹子より」「トットちゃんだった黒柳徹子より」って書いていただいて。