徹子の部屋 山村美智

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この番組のまとめ

なんか 私に励まされた過去があるとお聞きして…ミスターフジテレビと呼ばれたとても敏腕のプロデューサーでいらした…。 フジテレビの月9のいわゆるトレンディードラマの編成のプロデューサーほとんどしてましたしあとは『29歳のクリスマス』とか『もう誰も愛さない』とか。 元々 やっぱりアナウンサーになった時には…どんな番組をやりたいですか?っていう時にはいつも 『徹子の部屋』って必ず書かせて頂いていたので。

旦那様のがんが わかったのはいつ頃?えっとですね2019年の7月ですね。 でも その度に 私自身も最後の最後まで大丈夫と思ってましたから。 まず 私が これは…筆談ノートを作って 渡してとにかく 「絶対 大丈夫だから」って言って 渡しておいてまあ 書いてましたけれども向こうも。 でも 旦那様の闘病で一番つらかったのはどんな時でした?やっぱり 先が見えない事と夫も「もう 僕は いいんだ」って言った時があって。

多分 これで 私が子供がいたりきょうだいがいたらだから 今もね 看病…実は 夫が入院してる途中の12月に股関節の骨折をしてしまって。 そしたら 結構 意外にその時は元気で「あっ 美智子ちゃん 元気?あきちゃんは?」とか言われたのであきちゃんが今 大変でこんな状況なのって言ったら母が急にキッと空を見つめて「こん畜生!」って言ったんですね。 で 「大丈夫よ 美智子ちゃん。 それで大きなポリバケツを持っていって本当に そういう時ってニューヨークは大変な所ですよね。

日本でやった2人芝居を英語に直して 英語の…オフ・ブロードウェーで舞台をやったんですね。 なんか お一人でねずっと過ごしていらっしゃる…何十年も お一人暮らしの方は1人という人格を自分で作ってやっていくんですけど。 それがニューヨークからドーッと2人の土偶っていうか人形っていうかご結婚なすった当初からご主人と決めた決め事があったんですって?はい。