懐かしの昭和メロディ

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この曲は軍歌ではなく抒情歌だと田端義夫さんは語っていたそうです千葉道場の剣豪だった平手造酒を題材にしたこの曲はそれまで国定忠治や清水次郎長が中心だった皆さんいかがお過ごしでしょうか?宮本隆治です。 太陽の光を浴びて楽しい時を過ごしましょう久しぶりにオリジナルメンバーが揃いました「トゥトゥルトゥルトゥトゥ」永遠の大ヒット曲『真赤な太陽』続いては毎回リクエストの多い日本調の歌です。 ダメですね男って…ここからは昭和10年代と昭和20年代にかけてのデュエットソングの名曲を3曲続けてお届けしてまいりましょう。

こちらは田端義夫さんが実際に弾いていらした愛用のギターです。 田端義夫さんのお嬢様の宮田紗穂里さんでございます。 はい!バタヤン田端義夫さんが亡くなられました。 お若い頃はずっと田端義夫さんの前歌を菅原さんやってらっしゃいましたもんね。 ちょうど私が10歳で田端先生が35歳のときにご一緒に歌わせていただいたものですから歳を…2人の歳を考えてまあ少しは覚悟はしてた部分はあるんですけれどもう第2のお父さんのような存在ですからものすごいショックでした。

ですから先ほども…おっしゃったように昔は同時録音でしたのでやっぱり子供心にも緊張してた部分があったのかもしれないですけど大人になりましてから田端先生がふた言目にあのとき「はい本番!」って言った途端に「おじちゃんおしっこ!」って言われたって言ってさんざん言われたんですけど。 ヒット賞という大事な賞をいただいた唯一の私の大事な『親子舟唄』。 もう最近何回かは1人でばっかり『親子舟唄』を歌ってましたので最後にもう一度ご一緒に歌わせていただきたかったなという思いです。

田端先輩がこの歌を大好きなんですよ。 それである他局の番組で田端先輩と僕と2人で歌ったことがありました。 で青木さんと田端さん不思議なご縁がありまして10年後に『島育ち』というのになって田端さんがこれを歌ってるんですね。 田端義夫さんがたまたま入った沖縄料理店で聴いたのがこの『島育ち』。 奄美大島だけで有名だったこの曲を昭和37年に発売するや100万枚を超える大ヒットとなったのでした続いてはお嬢様の紗穂里さんにお話を伺っていきます。

これから田端義夫さんの歌を歌い継いでいく方はどなたでしょうか?私はこの方だと思っています。 田端義夫さんは私にとりましては本当に子供の頃からすばらしい歌をいっぱい聴かせていただいて。 ギターを弾きながら歌う田端義夫さんの姿を見ていいなああいうふうに歌ってみたいなとそんなことを思ったりもしておりました。 ロサンゼルスハリウッドサンフランシスコチャイナタウンそこに行けるなんて夢のまた夢でした遠く離れた恋人に思いを寄せる…。