新春ワイド時代劇「影武者 徳川家康」第一部

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この番組のまとめ

太閤豊臣秀吉の死後着々と権力を強めてきた徳川家康に対して石田三成が反旗を翻し豊臣家の復権を賭けて戦を挑んだのであるこの日徳川家康の本陣にはまったく同じ顔をした二人の男が鎮座していた。 内府殿討ち死に!徳川内府殿がたった今討ち死になされた!まことか。 やらねば小早川吉川といった日和見を決め込んでいる連中が松尾山に陣取った金吾中納言小早川秀秋の耳にも届いていた内府殿は死んでおられるのか生きておられるのかどっちなのだ!?それがまだどちらとも。

金吾中納言小早川秀秋無類の臆病者と聞く。 鉄砲頭の孫兵衛を呼べ。 ということはやはり内府殿は討ち死にを…。 さすがは大殿の影武者。 内府殿はわしを殺す気か…。 味方であるはずの大谷刑部の一隊に襲いかかり石田三成率いる西軍を一気に壊滅させたのであるお早く。 福島左衛門大夫殿。 この家康生涯忘れませぬぞ。 あ危うい?何がじゃ?合戦の最中に内府殿討ち死にとの報せが。 黒田甲斐守殿。 なに!?井伊直政は家康の腹心であり影武者二郎三郎のことを最もよく知る者の一人であった。

関ヶ原から五日後影武者家康は近江の国大津城に入城していたでお梶様はいつまいられる?それがすでにご到着に。 某世良田二郎三郎と申す者にござりまする。 世良田?その男は大殿様の影武者でござる。 影武者?中納言秀忠様がご到着になられました。 殿罪は中納言様お一人にあるのではござらん。 中納言様に向かって言葉が過ぎよう。 おぬし二郎三郎か?関ヶ原の勝ち戦はひとえに二郎三郎の働きのおかげ。 いずれにせよこの世良田二郎三郎お梶様を命に代えましても…。

汚いぞ弥八郎。 じゃがわしはあくまで世良田二郎三郎。 本多弥八郎正信注げ。 二郎三郎殿はその頃から殿様に似ておられたのか?あぁ…。 一向宗の一揆勢に味方して織田方の大将を一人で何人も撃ちとめるほどの目覚ましい働きを。 いや弥八郎の話は大仰でいかん。 そなたは一向宗の門徒なのですか?そうではありません。 私はそなたを教育するよう弥八郎殿から申しつかっているのです。 治部少輔殿にわしが?なんでわしが会わねばならんのじゃ?なんでもくそもあるか。 諸侯列座の前で堂々と対面せねばならぬ。 本多正純様が参られました。

治部少輔殿。 この治部少輔義をもって起った身なれば恥じるところ微塵もござらぬ。 是非善悪の分かちもつかぬのをよいことにその御名を用い旗をあげたことこそ内府殿某命あるかぎりは治部少輔殿お心のうちしかと承った。 皆に告ぐ治部少輔殿のことをくれぐれも丁重に。 六郎わしは治部少輔様の志を継いで確かか?影武者のほうを手にかけたということは。

お梶殿世良田二郎三郎ゆうべのようなことはつらすぎまする。 いやあそれにしてもあの秀頼様に羽織の贈り物とはよう気がつかれたものだと感心いたしました。 秀頼様が殺されれば豊臣家は亡びます。 豊臣家が亡びれば徳川家康様の影のこの私めも用済みとなりまする。 徳川家康様の影のこの世良田二郎三郎も死にまする。 世良田二郎三郎とか申しておりましたが。 その当時信長といえば大層な勢いであったはず。 うん信長はその門徒衆の女子供に至るまで皆殺しにした。 結局のところ信長こそが英雄でわしはただの人間にすぎぬと。

のう?自らを軽視する本多忠勝らの重臣を身辺から遠ざけ家康の後継者としての地位を確立しようとしていたそうではないか?弥八郎。 徳川の地位を磐石のものにするためにはしかしそれには朝廷から綸旨を賜らねば。 すぐに大納言様のものとなります。 それはおぬしの考えで大納言様の腹の中は別だ。 それに我が朋輩本多弥八郎正信の立場をどうすればよいかのう。 朝廷では家康の病を考慮し多くの寺社に命じて快癒の祈祷をさせた。

生まれてくる御子が女子ならまだしももし男の子であった場合どうなります?あ…表向きは大殿徳川家康様の十男。 要するに大納言様の弟ということに。 それは将軍宣下を受ければ徳川のお家は将軍家となりまする。 さすれば権力は絶大なものとなりこの世良田二郎三郎の役目も不要となりまする。 大納言様の下での戦は勝ち目がありえませぬ。 見張っているのは何者です?柳生宗矩配下の忍びでございます。 柳生宗矩とは?大納言様の兵法指南役で新陰流という剣法の達人だそうでございます。

ここからは風魔の土地だ。 ここまで来たら頭領の小太郎殿に会ってみたい。 風魔の頭領小太郎殿でござるか?いかにも。 なに?徳川家ではそれを公にできず影武者の世良田二郎三郎なる者を代わりに立てているのでございます。 世良田二郎三郎どこかで聞いたような…。 徳川家の菩提寺ゆえお参りにかこつけて。 我ら風魔一族も主を持たず土地を耕さぬ道々の輩でござる。 お手前に工面がつかねば大納言殿からいただいてもよい。 秀忠から?甲州黒川に徳川家の金山がござる。