日本語を話せる謎の小学校があるとされる古くは『西遊記』の三蔵法師やマルコポーロも訪れたという歴史の舞台でもあるのです。
我が国ジンバブエに遠く離れた日本のテレビ東京からそんなタジキスタンのそこにはまさにひと言で語ることができないということでまずはこちら。 そんな日本製品がステータスというタジキスタンにはそして日本を愛するあまり独自に進化してしまった愛すべき日本食堂なのにステーキハウスという名前に不安を抱きつつ中へ入ってみるとやはりその店内の雰囲気も洋食店のような感じでステーキの横にはなんと寿司が。 日本からおよそ6、000キロも離れ現在は政治的にも安定し平和なタジキスタン。
しかし秋野は任務の危険性を誰よりも知ったうえでタジキスタンへ渡ることを決意したのです。 そんな彼を現地タジキスタンの人々は尊敬の意を込めていつしかラストサムライと呼ぶように。 そしてタジキスタン国内では秋野の死が大きく報じられ彼と関わったすべての人間は敵味方関係なく悲しみに暮れたといいます。 タジキスタン政府より評価され2007年6月に彼と共に平和を目指した元国連の同僚が最後にこんな心温まるエピソードを教えてくれました。
危険なジャングルの中で意識を失ってしまった青山さんはしかしそれでも青山さんは日本の未来のためにという思いを心の支えにパナマ運河建設での重要な仕事を任される同じ給料が支払われたそうです。 当時パナマの野生ランの保護活動をしていた明智さんは長年の夢であったこちらの野生のランの保護施設を完成させた頃…。 誰よりもランを愛ししかし施設を運営していくうえでしかも当時の保護施設は現在のように立派なものではなくあったのは小さな小屋くらいでランの保護活動をする資金はもちろん施設を運営する資金すら足りていない状況。