映画「和ちゃんとオレ」 もう、お袋と呼べない―“母と息子”卒業後の実録3520日

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この番組のまとめ

野田明宏さん。 介護の現場を取材するフリーライターです。 ひとり息子の野田さん。 母親の和子さんとの生活を地元の新聞に連載していました。 今は全然違和感ないけどね野田さんとの出会いは2008年。 介護始めたときから?うん。 降圧剤と自律神経失調症の薬を飲むと。 職場で出会った耕作さんと結婚した和ちゃん。 それからずっと1人で和ちゃんを介護してきた野田さん。 36歳の頃父親の入院をきっかけに実家に戻りました。 和ちゃんと一緒に2年半ほど父親を介護したといいます。

大げさでなくほんとに介護地獄っていうのはあると思うよ。 この頃和ちゃんの介護の合間に野田さんは取材を始めました。 介護現場の実情。 自分と同じように親を介護する息子たちの取材も。 思ってたしっていうかそういう介護なんてこと自体が事件も多発しています。 2010年には東京葛飾区で息子が介護していた母親を手にかける事件が起こりました。 だからこれ富士山描いたの。 それでほら富士山描いたんですよ。 もう表情も変わっていかなくなってくるとね脳梗塞で寝たきりとなった母親の介護のため勤めていた会社を辞めました。

10年以上やりますよってことを最初からわかってたらう~んあのへんが不透明だからできたのかな。 だけど息子介護はやっぱりね増えてるよね。 和ちゃんを3日間だけ施設に預け野田さんが岡山から上京しました。 大手航空会社に勤めていた徳さん。 ヒロさんの介護に感心しながら取材を続けていた野田さん。 取材中だからと呼び出し音を切っていたケータイを確認すると20件以上の着信が。

やってきたんじゃもんなんで何年もなお父さんのときから頑張ってやってきとんじゃから泣くだけ泣きゃあええと思う!それは恥ずかしいとかなんとかいうんじゃなくて。 明日行けれんけどごめんな野田さんな。 施設もギリギリでやってるとこ多いと思うんでね。 野田さんは自分が息子介護を本にすることでなんとか救いの手を差し伸べられないかと考えていました。 顔見知りの編集者に自分が撮った写真を見せながら息子介護の本を出せないかと頼んでみましたが断られてしまいました。