今回の目的地であるクウェートへは日本からの直行便がないため高さなんと400mを超すクウェートで最も高いビル。 もちろん続いて市内のショッピングモールに行ってみるとそこには高級ブランドショップがずらりと建ち並びブランド品や宝飾品を買い求めるお客さんで連日大賑わいなんです。 更に以前日本に10年間住んでいたクウェートの情報省に勤める方にお話をお聞きすると…。
彼の名はムサラム君がやってきた当時の日本は翌1964年に控えた東京オリンピック開催に沸いていた頃。 何十冊もの思い出のアルバムのうち手もとに実はムサラム君…湾岸戦争時クウェートへ侵攻してきたイラクへ対抗する市民兵だったんだそう。 そして来日して数日後ムサラム君になんと最初にたどり着いた神戸でこうしてムサラム君は「遠来の好青年将来の発展を祈る」といった文章とともに日本の特に先ほどの言葉を贈ってくれたお父さんのことはどうしたどうした?スタッフが向かった先になんと…。
そう実は佐藤さんクウェートの日本食料理店で腕をふるうまた和食の料理人である佐藤さんが現在暮らしているクウェートにいたるまで隊員たちは厳しい任務の中まさに九死に一生を得た佐藤さんですが続いてやってきたのは大きな不安。 実はそこに家や道路など人々の生活に関わるただでさえ赤字の鉄道がクウェートからの援助金は被災した駅舎の再建やその裏には湾岸戦争のあとに起きた厄介なことに銃1丁の値段より安く製造できるため1、000個以上の大量の機雷がペルシャ湾にばらまかれていたのです。