我々が探しているレバノンに嫁いだ日本人妻はここ首都のベイルートから南に車で2時間ほど行った敵対するイスラエルとの国境に近い小さな村に住んでいるといいます。 ヒズボラ武装組織とはレバノンを中心にイスラム原理主義の1つの派として集結する武器を用いることもいとわない過激派の強硬派グループ。 2006年のイスラエルとの戦争の発端はこのヒズボラ武装組織が敵対するイスラエル兵を誘拐し殺害したことから始まったと言われておりまた1986年にはアメリカ人を誘拐。
今回レバノンの南側を取材することがわかっていたため事前にベイルートにあるヒズボラ武装組織の本部へ行き更に撮影したVTRをも見せたことで事なきを得ましたが…。 レバノンの南側は特に緊迫した状況であり敵対する果たしてこんなようやく日本人がいるというエベル・エッサキ村に到着。 敵対するイスラエルとの国境近くにある村。 そんな状況がよくわかる場所があるというのでついていくとそこは正子さんの実はこの屋上から敵対する隣国イスラエルの国境が見えるんです。
日本から遠く離れた紛争の絶えない国レバノンに身を置き自分のできることを必死に考え弱い人たちに手を差し伸べ続ける1人の日本人妻がいました。 続いてのナゼそこに?日本人は…。 本来は1時間半の乗り換え時間があるはずなのですがこの日は到着が1時間遅れたため空港内を大慌てで移動します。 さてどんな日本人がいるのでしょうか?ご主人は日本人でした。 亮太君の登校の時間です。 そのなかの小さな売店で指輪にネックレス日本人形などどれも色鮮やかなものばかり。
日本代表は惜しくも予選で敗退してしまったのでかわりに薬師寺さん一家もコスタリカの応援です。 どうする?こうやる?いったい誰のお墓なのでしょうか?なぜか日本から遠く離れたコスタリカで埋葬されることになったという富代さんのお母さん。 かつての母の言葉を思い出した矢先英雄さんの母アサエさんは富代さんを見るやいなやこう言いだしたのです。 それは富代さんの切羽詰まっていた薬師寺夫妻には他の選択肢など考える余裕もなかったのです。 そんなコスタリカで富代さんの古い友人が誘ってくれた新しい事業とは中古車の販売でした。