まるで明治の女流作家樋口一葉の残した言葉のようです。 『極道の妻たち』や『イエローキャブ』など本のタイトルが流行語になるほど注目を集めてきた。 結構力を入れちゃってるみたいですけどももう今は指に力が入らないのでドロドロしたもがいてる話を淡々と打ってくよりは代表作の『私を抱いてそしてキスして』はまだエイズが不治の病として偏見と差別にさらされていた時代アメリカでエイズ患者たちと過ごした1年間の記録。 日本のノンフィクション界で最も栄誉ある賞を受賞した。 無我の境地になって自分自身を見つめる修行である。
もう家田荘子という看板を背負って背筋を伸ばしてパンプスを履いている必要もない。 弘法大師空海がこの地を開いてから1、200年を迎えようとしている。 弘法大師の言葉に家田さんなりの解釈を交えながら人々に語りかける。 これは取材をさせてもらった女の人たちとか日本人の心の中には勇気やプライドを重んじ己に打ち勝つ心を育て忠義や孝行を大切にするといった今も日本人のDNAの中に脈打っているのかもしれませんね。 ジャーナリスト田原総一朗。
昨日まで戦争を礼賛していた大人たちが一夜にして豹変したのを目撃した鮮烈な体験が政治家世間を騒がせている時の人。 あえて専門分野を持たず好奇心がくすぐられたすべての分野のトップランナーたちを相手に真実と本音で社会を揺るがす言質を引っ張り出してきた。 第一テレビで総理大臣官庁何でもいいですよ。 今からおよそ40年前田部井は時の人となった。 1975年女性として世界で初めてエベレスト登頂に成功。 なぜ田部井淳子はそこまでして山に登り続けるのか。 田部井淳子は山にいた。
田部井淳子ががんにおかされる1年前…。 たまたまイギリスの隊の人たちが一緒の山に登っていて日本人かって聞かれてそうですって言うと日本のどこだって言われてハイキングに誘った。 さすが田部井淳子のDNA。 公開に先駆け愛する人に残したい言葉を大々的に募集するキャンペーンが展開されました。 折り入ってはきりだせないことをこんな機会を利用して少し立ち止まって自分の人生を振り返ってみますとこの先の指針を見つけられるかもしれませんね。
大正4年創業という老舗の和菓子屋がある。 慶明さんは地元の高校を卒業したあと彼の強い意思にひかれ美絵さんも和菓子屋の嫁になることを決意。 慶明さんは東京で食品関係の会社に勤めたあと27歳のとき実家の和菓子屋で3代目の父親のもと修業をスタート。 やはりギリギリまでね自分が生きようと思ってたんで手探りのまま和菓子作りに打ち込んだ。 心を込めた和菓子作り。 生前から自分の死亡記事の見出しを指定。 江戸落語300年の歴史のなか初めて家元を名乗った落語立川流の創始者。
29歳の立川談志は落語の未来を真剣に考えた。 ホントに国会議員先生になってしまった。 人気落語家にして議員先生。 立川談志は時代の波を器用に乗りこなし世の中を颯爽と生きていた。 落語協会大幹部が真打昇進制度をめぐって大ゲンカ。 未成年が多かったのでよくディスコに手入れっていうの?警察が来るんです。
立川談志は頼まれると好んでこう書いた。 立川談志が好んで書いた「人生成り行き」。 立川談志神妙な顔をして突然の記者会見。 タバコ片手にこの日から立川談志は病魔との長い長い闘いを始める。 のちに再発したがんは落語家の最も大事な商売道具声を出す声門にできた。 だから最後にちゃんとバイバイが言えなかったっていうのが地方とか海外行くときは必ずここでお参りしてあと自分のお母さんに電話入れてたって聞きました。 私はやっぱり一番最後に父とバイバイしたのが今のマンションの前で。