オウムは今も生きている… ~総力追跡!地下鉄サリン事件20年〜

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この番組のまとめ

この1、100枚にも及ぶCDに収められていたのはオウムの設立からサリン事件の直前まで記録された麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の全肉声でした。 オウムの後継団体ひかりの輪という団体に分かれた。 麻原死刑囚がいる東京拘置所。 我々はひかりの輪と戦うぞ!戦うぞ!そこにあったのはアレフと並ぶオウムのもう一つの後継団体ひかりの輪だった。 ひかりの輪をつくったのはかつてオウムの広報マンだった上祐史浩。 1987年カネがすべてだというバブル経済の価値観に反発していた頃オウムに出会った。

麻原はこの狂気の思想をかなり早い段階から信者たちに植えつけていたのだ。 はつらつとした表情の彼女が彼女は通訳として傍らでいつも麻原を見つめていた。 自分のほうが5つ年上だったが麻原を尊敬していたという。 道場開きだったこの日信者が麻原に触れることができる特別な儀式があった。 のちに麻原の側近となる村岡達子。 水中で息を止め続けたり麻原の脳波と同調するため頭のヘッドギアに数ボルトの電流を流されたり。 教祖麻原彰晃は年上の村岡達子をどう見ていたのか。

麻原死刑囚の音声データです。 しかしその裏で麻原死刑囚は一つの家族を踏みつぶそうとしていたのです。 坂本弁護士は同じ悩みを抱える親たちを集め例えばこのミラクルポンドとは麻原の入った風呂の残り湯10万円。 麻原は一家の坂本堤弁護士は3人家族だった。 坂本弁護士一家殺害からわずか数時間後。 報告書を受け取ったのはアメリカコロラド州立大学で毒や化学兵器の研究をするアンソニー・トゥー博士でした。 毒物や化学兵器のエキスパートでオウムの元幹部中川智正からの手紙だ。

オウム真理教の施設がある上九一色村でサリンの残留物が見つかったのです。 CD1、100枚に及ぶ麻原の肉声のなかに1995年2月教団は元信者の妹をかくまっていた仮谷さんを拉致し死亡させる事件を起こす。 2日後山梨県上九一色村の教団施設に当時オウムは警察や自衛隊の内部にも隠し部屋に1人でこもっていた。 麻原死刑囚の逮捕で信者に対するその影響は拘置所などから教団や信者に向けて発信したメッセージ。 その人物とは?オウム事件の資料を取り寄せ家族や教団幹部に隠れて読みあさったという。

ある時上祐が獄中の麻原に逃亡犯を出頭させるべきかどうかを尋ねるとこんな指示が返ってきたという。 麻原は逮捕された翌年6人の子供のうち当時3歳の長男と2歳の次男を後継者として獄中から指名したのだ。 実はこれも麻原の獄中指示によるものだった。 その中には獄中指示の中には麻原がこのヘーヴァジラを唱えるための資料を拘置所の中に差し入れるよう信者にリクエストしたものもあった。 多くの凶悪事件で指示役と実行役だった2人は新実は今もこの獄中指示どおりの修行を昼夜欠かさず実践しているという。