日曜夕方の池上ワールド~歴代の総理は一体、何を決断してきたのか?池上彰が解説〜

戻る
【スポンサーリンク】
17:07:36▶

この番組のまとめ

片づかない部屋ですねこれは解説部屋っていうことですか?私の仕事部屋なんですけども。 仕事部屋!?それがそのまま解説部屋になってると。 池上さん世界各国取材されてますからこういう世界中のありとあらゆるお土産も隠れているという書斎ですね。 そこにはそこからっていうかそもそも日本人は握手しないんじゃないかと思ってたんですけど。 戦後の日本の外交の特製年表。 さあいろいろな仲直り外交の歴史があるわけなんですがまずはですね戦後6年経ったこちら…。 戦後日本は焼け野原から始まりました。

でアメリカってアメリカが西側なんだけど日本から見ると東側にあるでしょ。 この当時東西冷戦の頃に吉田茂首相はですね…。 日本は敗戦混乱する戦後日本の舵取り役を担ったのは1946年に総理大臣となった占領軍の支配から脱し主権を回復するためには第二次世界大戦で戦った国々と講和条約を結ぶ必要がありましたしかしその頃世界は…吉田はソ連を切り捨て西側諸国との講和に踏み切ります。 1951年サンフランシスコでの講和会議日本はようやく同じ日そこにはアメリカ軍の基地を残すことが明記されていました。

第二次世界大戦日本はアメリカとだけ戦争してたと思ってる人もいるかもしれませんけどここにある国々がみんな日本に対して宣戦布告をしたんですよ。 終戦から12年日米首脳がゴルフに興じる光景です岸首相はアイゼンハワー大統領差し回しの特別機から物静かに降り立ちました。 3日間に亘る話し合いの結果共同声明が発表されましたが沖縄小笠原の返還原水爆禁止など日本国民の強い要望はお預けになったかたちです。

アイゼンハワー大統領にしても東西冷戦のなかで日本がいってみれば東アジアのなかで西側諸国アメリカ側諸国の国になるわけでしょ。 でもあのとき日本製品がアメリカにどっと流れこんでいてアメリカの産業界が悲鳴をあげていた。 そのときに日本が円高になればアメリカに前ほどいろんなものを輸出しなくなるのではないか関係が改善されるのではないかといっていってみれば日本側が譲歩したということなんですね。

日本がアメリカから?日米同盟の意義を強調した安倍演説に連邦議会の議員は何度もスタンディング・オベーションで応えましたパックンから聞いていてあの演説というのはどんな感じだったんですか?いやあれは他の国々が聞いて納得しないのはわかる。

日の丸飛行隊の活躍に日本中が沸きかえりました連合赤軍が銀行強盗などを繰り返しながら国交を正常化しました時の総理大臣は田中角栄ですね。 田中総理大臣一行を乗せた特別機は就任2か月後中国へと乗り込みます日本は台湾の中華民国政府と平和条約を結んでいましたが中華人民共和国とは国交がない状態となっていました日本を飛び立って4時間。

当時は尋常小学校を出るとそのあと高等小学校でさらにその先は中学に行くというルートがあった。 いわゆる金脈問題があり総理大臣を辞めたあと今度はロッキード事件が発覚し刑事被告人になるんですけどそれで闇将軍と呼ばれることになったんですがそこを高速道路や新幹線などの高速鉄道網で結んでいこうということを提唱したんですね。 さあそしてこの中国との国交正常化なんですけれどもちょっと歴史を見てみましょうか?まあかつて中国大陸は国民党が支配する中華民国だったわけですよね。

で更に言うと日本が急いだというのは実はパックンのふるさとの国中国の要人と相次いで会談。 軍国主義つまり日本が中国を侵略して戦争になったこれは日本のあの時中国人民は日本の軍国主義者によってひどい目に遭った一方日本の人たちも戦争でひどい目に遭ったって点においては絶妙なやり方ですね。 で去年の11月なんでこんな仏頂面だったのかというとこの習近平国家主席にはあるトラウマがあると言われているんですよ。