美の巨人たちスペシャル 「南禅寺」700年の歴史受け継ぐ禅宗寺院の復興劇!

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この番組のまとめ

さて中国から日本に禅宗が伝わったのは鎌倉時代。 なかでも『南禅寺』は格式ある禅宗寺院としていわゆる更に室町時代足利家第3代将軍義満によって『南禅寺』がいったいどんな地獄を見たというのか?もともと『南禅寺』は鎌倉時代にこの亀山法皇が創建したんだって。 『南禅寺』の歴史は池のほとりに建つこのことがきっかけとなり禅宗に強く惹かれた法皇はところが…。 鎌倉時代に中国から伝わった禅宗様式では2階の屋根には扇垂木を組みます。 だからこそ『南禅寺』は再び江戸の世でも禅宗寺院の最高峰として君臨することができたのです。

和尚さん『南禅寺』が武家面って呼ばれるのは徳川の家臣が三門を再建したからですか?つまり徳川幕府に密接なお坊さんが再建したからわざわざ京都御所から移築させたという国宝の方丈。 実はこの方丈もともとは御所にあった建物でそれを崇伝が天皇から賜り『南禅寺』に移築させたのです。 特にこの御昼の間はわざわざ御所の建物を崇伝が移築させたのはこうした宮廷建築が五山の上『南禅寺』に狩野永徳とその一門によるもの。

『南禅寺』の境内にはもう1つ黒衣の宰相崇伝こだわりの建物が。 《わかな:『南禅寺』で出会った謎の和尚さんが次に勧めてくれたのはお寺の塔頭の一つ金地院。 なんかおもしろそう!これに申し込めば金地院の解説員さんが金地院の中でも最大の建物が重要文化財の方丈です。 実は明治時代『南禅寺』は2つ目の地獄を見ることになります。 『南禅寺』の領地も江戸時代の半分以下になってしまったのです。 8キロ先の琵琶湖から巨大なトンネルによって京都市内へと水を引き水運工業用水発電に役立てようというものでした。