池上彰の教科書に載っていない20世紀~あの言葉が世界を変えた!?【戦争を考える

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この番組のまとめ

これなぜかということなんですけど現在の戦争あるいはこれからを考えるときに戦後70年間を見るだけではなくて第一次世界大戦から第二次世界大戦が始まって終わるまでの30年間に世界で何が起きてそれを考えることが実は大事なのではないか。 そもそも第一次世界大戦のあともう世界戦争が起きないようにしよう。 やっぱり第一次世界大戦で勝ってると…。 特に第一次世界大戦中ごく短期間ですが中国の一部で日本軍ドイツ軍と戦ってましてね。 このパラオ第一次世界大戦前はドイツ領だったんですね。

そしてその満州の重要性を特に感じていたのが先ほどの演説をした松岡洋右だった。 松岡はもともとこの南満州鉄道満鉄のそして満州国という国を作ってしまったんですけど国際連盟加盟国の多くが…そんななか満州国を世界に認めさせるために派遣されたのが国際連盟臨時総会での松岡洋右の演説です中国政府では満州の治安を維持することができない。 圧倒的大差で満州国は否定されます。 日本に帰るというときに松岡は再びモスクワに立ち寄ったんですよ。 松岡洋右の四男ハーケンクロイツ鉤十字がありますよ。

当時日本はアメリカとの関係が非常に悪化していたのでいってみればいつでも戦争できるんだぞとこっちには仲間がいるんだぞという形を作っておいてあらいっちゃったんだな。 日本は後退を余儀なくされます敗戦の色が濃くなるなかで大学生が戦場に駆り出されたのです集まった2万5、000人の学生たちに向け総理大臣東条英機が演説します東京帝国大学の学生代表が答辞を述べますそうですよね。 敗戦後松岡洋右はしかし結核を患っていたため極東国際軍事裁判への出廷は一度のみ。

ミュンヘン一揆に敗れたヒトラーが収容されていたのがこちらヒトラーがここで収容されていた期間は8か月間でした。 この8か月間に比較的自由な獄中生活が許されていたヒトラーはここにはアーリア人至上主義。 ミュンヘン一揆の失敗でヒトラーは一時後退を余儀なくされます。 しかし…ヒトラーは暴力ではなく選挙によって政権を獲得しようと決意しますヒトラーの選挙戦術は革新的でした。 ヒトラーは巧みなプロパガンダで合法的に政権を掌握し独裁制を敷こうとしていましたついにヒトラーはヒトラーの首相就任演説。

何のためにこの地下通路をヒトラーは造ったんですか?だけどナチスに対する反対運動もずっとドイツの人たちやってたんだよというそういう展示も含めてここで展示しようということでこの資料館が出来たんですね。 さまざなヒトラーを写し出しています大げさとも思えるミュンヘンから2時間ヒトラーによって造られたアウトバーンを行くとバイエルン州第二の都市…ヒトラーはニュルンベルクが最もドイツらしい街として大のお気に入りでしたその様子はリーフェンシュタール監督の手によって映画化されました。

そうですよねこれがだから各地に作られた強制収容所入り口にこのセリフが書いてあるんですね。 ヒトラーの側近ゲッペルスはユダヤ人についてこう演説していますダッハウ強制収容所には多くのユダヤ人が収容されましたモニターに映し出されていたのは収容所のカラー映像です解放された人たちは少しだけ笑顔が戻ってきていました。 一方で解放を待ち望みながら叶わずこの現実を忘れないためにモニュメントとして残されています今年の5月メルケル首相はダッハウ強制収容所解放70年の式典でこう話しています当時ナチスを批判するのは命がけでした。

アメリカの希望と言われたケネディ大統領の言葉に迫りますジョン・F・ケネディは史上最年少43歳の若さでアメリカ大統領に就任しました歴史に残る名演説ではあるんですが幸せが空から降ってくるわけではない。 第二次世界大戦後フランスとの戦いに勝利したベトナムはアメリカは何としても南ベトナムの共産化を防ごうとアメリカ軍の軍事顧問団プロがそれを言ってみれば教育しますよという建前で送り込むんですけど。