日曜夕方の池上ワールド~日本をつくった人 伊藤博文〜

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この番組のまとめ

今の日本の総理大臣の奥さんファーストレディ。 2008年横浜で開かれたアフリカ開発会議では日本の文化をファーストレディがアピールしました。 福田康夫総理の妻…母子手帳が普及しつつあるといいます当時の内閣のメンバーや政治家が奇抜な格好で参加してるんですよね。 ファーストレディはこうやってベネチアの格好をしていたというわけですよ。

牛鍋!?牛肉あるいは豚肉っていうのは江戸時代日本人はほとんど食べていなかった。 今でもここには明治期に全国でつくられた建物が世界的に有名だったアメリカの建築家フランク・ロイド・ライトを招き設計を依頼しました西洋風のベランダが特徴のこちらは明治40年に建てられた実際の銀行です。 これは実際の写真ですこれは何ですか?明治時代の日本で大きく変わったのが…路線は短期間に整備されおよそ30年後には鉄道の総延長が7000キロに達しました。

だって明治時代始まって5年でこの蒸気機関車。 尋常小学校って言い方したんですけど。 明治43年の尋常小学校1年生国語の教科書その復刻版ですね。 明治の女性のファッションを詳しく見てみましょう更に明治後半になりますと女性の雑誌でブラジャーとかコルセットとかスリップなど西洋風の下着が紹介されるようになり女性たちがそういうものがあるんだってことを知るようになったということですね。 明治時代にできてですねソーダ水やアイスクリームが売り出されたと。 はい坂本龍馬高杉晋作西郷隆盛。

ちょっと現代風でしょ?そして伊藤博文を読み解く上で重要なキーワードがこちらです。 日本初の総理大臣伊藤博文を紐解くキーワード。 生まれは当時の長州藩現在の山口県光市です市内には伊藤博文の功績をたたえた資料館があります。 山口県は初代の伊藤博文から安倍総理まで8人の総理大臣を輩出。 都道府県別では最多です資料館に入ると3枚の写真が69歳で亡くなるまで計4回総理大臣を務めましたこの頃伊藤は同じ山口県の萩で暮らしていました現在多くの観光客が集まるこの場所。

千円札どこいった?いつまで経ってもこれだと話が前へ進みませんからここで改めて1863年伊藤博文が22歳のとき長州藩の仲間とイギリスへ渡りました。 当時先進国だったヨーロッパ諸国はアジアに進出し植民地化をすすめていましたそして伊藤たちはイギリスへ。 さあ明治の新政府が真っ先にしたかったことといえば外国と結んだペリー来航の翌年日本はアメリカと日米和親条約を結び200年続いた鎖国が終わりました。

125年前の憲法にはどんなことが書かれていたのでしょうか?大日本帝国憲法っていいますとどんなイメージですか?まだそんなに民主的じゃないイメージですかね。 といわれる大日本帝国憲法国会にあたる帝国議会や裁判所に関することも記されていますがこれらは天皇が掌握するとされましたこれ現代の憲法国家から見れば憲法とは言いづらい形だと思うんですけど当時はこれが世界のグローバルスタンダードに近いんですか?はいはいはいいいところを気がついてくださいましたね。