開運!なんでも鑑定団【古ぼけた本は何とあの徒然草!?本物?】

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この番組のまとめ

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嵯峨本は江戸時代初期の慶長年間に豪商の角倉素庵が本阿弥光悦らの協力を得て刊行した木製の活字による活版印刷の豪華本でその名は京の嵯峨で作られたことに由来する。 それに対し嵯峨本が取り扱ったのは古典文学や謡曲であり版下を光悦やその門流が書きひらがなを活字にするのは至難の業だったため素庵らは「けり」「たり」「なり」などの2字また表紙には色紙を用い料紙には雲母で草花や鳥などの模様をすり古典文学に初めて木版の挿絵を添えるなど贅のかぎりを尽くしており日本の印刷文化史上最も美術的な版本と言っても過言ではない。