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田崎廣助は阿蘇山をこよなく愛し阿蘇の田崎と呼ばれた画家である幼い頃から筑紫平野を駆け回って育つうち豊かな感性を身につけ中学生のとき図画教師の影響で画家を志すようになった。 そんなある日夜が明けた頃大草原のかなたに横たわる阿蘇山の雄大にして崇高な姿を目にして衝撃を受けこのときの感動が恩師の強い期待と推薦により美術学校を志願したが厳格な父の反対に遭い断念。 東京では幸いにも小学校図画教師になることができほどなく同郷の先輩画家坂本繁二郎を訪ねると坂本は自己の絵画論を熱く語ってくれ深い感銘を受けた。