日曜ビッグ「池上彰の戦争を考えるSP第9弾 『特攻』とはなんだったのか」

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この番組のまとめ

生きて帰れることはないと知りながら特攻していった若者たちはどんな思いだったのでしょうか多くの特攻隊員が飛び立った鹿児島県知覧です九州各地の陸軍と海軍の飛行場の配置図なんですが少年飛行兵や学徒出陣した兵隊への教育が行われていたのです。 重爆撃機といいますと?まさに十死零生の作戦を当時はこう伝えました知覧基地の滑走路だった場所には今茶畑が広がっていますこれは特攻隊員から送られた最後の通信です鹿児島県鹿屋市。

こちらは学徒出陣で特攻隊員になった記されていました戦時下の日本で自らを自由主義者と言って自らを自由主義者と呼び特攻で散った上原良司さんはどんな人だったのでしょうか?長野県・池田町に来ています。 戦後72年経ちますが今でも上原良司さんを偲ぶ会というのがこちらで行われています。 特にかわいがっていた良司さんの上原さんの家族は男兄弟をすべて戦争に奪われました出撃し沖縄の海に散った上原良司さん要するに…ということがわかりますでしょう?ここまで日本軍が占領したということですよね。

神風特別攻撃隊のこちらですね最初に特攻を行ったのは海軍の敷島隊です。 10月25日さあではその敷島隊がおこなった特攻とはつまりアメリカ軍の空母群を発見しまして対空砲火のなか敷島隊はここに体当たり攻撃をおこなったというわけですね。 上官が天皇の言葉を特攻隊員に伝える映像が残されているんです。 途中でこの最初の特別攻撃隊となった敷島隊の出撃を見送ったという元特攻隊員の方に話を聞くことができました。 特攻隊をこのように伝えていました生き残った方の言葉を聞きに池上は訪ねましたはいはいはいはい。

彼に言わせると特攻隊の生き残りはまだアメリカに対する恨みを持ってるかもしれないのでで大舘さんは歴戦のパイロットだったんですけれども特攻隊には実はさまざまな境遇の人たちがいたんですよね。 私の叔父も学徒動員で未熟なパイロットとして訓練を受けそれで熊谷の飛行隊にいたんですけどそこで知覧に行けという命令を受けて飛び立ったんですけど途中で墜落して炎上してさあそしてですね…。 72年前知覧を飛び立った特攻隊員たちは沖縄を目指しました池上と宮崎の目にとまった2人の特攻隊員60キロという距離ですか。

そしてこうしたいろんな特攻兵器が生まれるなかでですねついに浮上したのが戦艦「大和」は実は最期は特攻したというんですよ。 戦艦「大和」の最期はどのようなものだったんでしょうか?元乗組員たちの貴重な証言を取材しました。