今から4年前の当時41歳の葛西紀明は7度目のオリンピックの舞台に立っていた。 金メダルにこだわっていた葛西はなぜ団体の銅メダルで嬉し涙を流したのか?そしてもう一人メダル獲得に涙する人物がいた。 当時10歳だった竹内はこのジャンプ団体の金メダルに衝撃を受けた。 「オリンピックにでて金メダルをとります」。 ところがオリンピックを2ヵ月後に控えたある日…。 日本ジャンプ団体としては長野オリンピック以来のメダルとなる銅メダルを獲得。 本当に獲らせてあげたいと思ってたんでオリンピックに来れたなって。
ラストワンプレーで夢が絶たれた。 当時チームをまとめていたキャプテン柱谷哲二。 キャプテンに任命された柱谷はすかさず動いた。 そんななかヨーロッパの組織的なサッカーを目指すアジア1次予選を疲労骨折のため離脱した北澤には…。 キャプテンにチームメイトは全幅の信頼を寄せた。 次なる目標はワールドカップ出場。 ワールドカップ初出場まで残り45分。 しかし後半開始早々クロスボールが柱谷の頭上へ。 ラストワンプレー。
長嶋は名古屋に向かうため新横浜駅にいた。 監督専属の広報として誰よりも長嶋と行動を共にした小俣は…。 首位打者の面目にかけて長嶋猛然と2塁に滑り込む。 長嶋は引退後すぐに巨人の監督に就任するも日本一にはなれず辞任に追い込まれた。 4番のきっちりした役割を担っていただきながら実は落合は長嶋の引退試合に当時勤めていた会社を休んで駆けつけたほど大の長嶋ファンだった。 長嶋は自らの信念を貫き4番を落合に託した。 そして落合も試合に出続けることで長嶋の期待に応えようとしていた。
勝って長嶋監督を胴上げしたい。 長嶋監督の胴上げが始まりました!長嶋監督17年ぶりの胴上げです!1回2回3回4回と長嶋監督の体が宙に舞いました!あぁやれやれ。 今月下旬に中日の入団テストを控える松坂は悲壮な覚悟で入団テストに挑む。 そんな松坂にとって現役で頑張る同級生松坂世代の存在はこのうえなく励みになるという。 好きな野球を続けるために村田は実はこのランナーかつて箱根駅伝で二度も区間賞を獲得したスター選手。