なぜ あの歴史は消えたのか?【鑑定団の今田&福澤が歴史の新事実に迫る】

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この番組のまとめ

そんな歴史ミステリーに『開運!なんでも鑑定団』の今田耕司と福澤朗が迫ります!あなたの常識古くないですか?まずは言わずと知れた戦国時代の英雄で国民的人気を誇る武将。 しかしそんな織田信長の評価が近年大きく変わってきているのだ。 この三段構えとは弾を込めるのに時間がかかる火縄銃の弱点を鉄砲隊を三列に並べ最前列から交互に発砲することで克服し連続攻撃を可能にした日本初といわれた鉄砲戦術。 さぁではこの織田信長実は優しかった。 なぜ残忍なイメージがついたんでしょうか?織田信長といえば乱世を駆け抜けた戦国の風雲児。

織田信長の代名詞として知られる日本初の鉄砲戦術織田軍が実際に鉄砲を撃ったとされる場所へ。 人間よりも犬などの動物の命を江戸幕府ところが近年生類憐みの令も綱吉もその一方5代将軍徳川綱吉は生類憐みの令で人々に道徳の定着をもたらしたとの記述が。 天下の悪法といわれた生類憐みの令を定めたのは江戸幕府5代将軍徳川綱吉。 ここは当時犬屋敷と呼ばれる御犬様16万坪に及ぶ専用の家があった場所。 最盛期には30万坪まで拡張され10万匹の御犬様が暮らしていたという。

その家宣の側近であった新井白石だとかそういう関係者の人たちはやっぱり江戸幕府を開く徳川家康。 対する西軍を率いていたのが豊臣秀吉に仕えた武将石田三成だ。 かつてはネガティブなイメージが強かった石田三成だが近年ではその評価もがらりと変わってきている。 石田三成はというと…。 豊臣家の後継者として決まっていた秀吉の甥秀次。 さらに石田三成の生まれ故郷滋賀県長浜市では…。 関ヶ原の戦いで徳川家康に挑んだ石田三成。 石田三成はこれをねたんで天下分け目の戦いを試みた。

十七条憲法や冠位十二階を制定した飛鳥時代のすごい政治家。 なんだっけ?なんと聖徳太子の名前が消えてしまったものやあの超有名な肖像がも「と伝えられる」とされている。 聖徳太子と聞いてイメージすることといえば何の前兆もないまま突然…。 あぁ…誰か誰か!馬小屋の前で陣痛もないまま誕生した聖徳太子。 誰もかなわないほどの深い知識と学問を身につけたという聖徳太子。 更に学校で習った冠位十二階十七条憲法の制定など数々の偉業を成し遂げたこれがそうですね。 しかし聖徳太子はそれより100年も前の飛鳥時代の人物。

これはどういうことなのか?そこで30年にわたり聖徳太子の研究を続けてきた中部大学の大山名誉教授に聞いた。 江戸時代の身分制度士農工商も…。 大山教授によれば戸皇子の超人伝説を作ったのは中臣鎌足の息子で日本書紀の編さんに関わった藤原不比等。 現在の教科書からはその昔教科書で習った江戸時代の身分制度士農工商がそもそも市民平等政策士農工商という人たちはみんな平等なんだとそれをですね強調するためにやっぱり作った。 越えがたい身分が存在した江戸時代。