開運!なんでも鑑定団【最強お宝!スゴいの出ます!春の2時間SP】

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この番組のまとめ

似鳥さんはその創業者にしてグループを束ねる会長ですが実は…その際店名を似鳥家具卸センター北支店にしたのですがこれは卸とつければ安そう。 当然これでうまくいくほど世の中は甘くなくあっという間に経営が行き詰まり…そこでわらをもつかむ思いでアメリカに視察に行ったところ家具が高品質にもかかわらず日本の3分の1ほどの安値で売られていることを知りびっくり!以来経営方針をガラリと変え…売り上げを大きく伸ばし大企業に変身させたのでした。

またギリシア陶器の多くはワインと深い関わりを持っており例えば取っ手が2つ付いたアンフォラはワインの貯蔵用ヒュドリアは水瓶クラテルはワインを水で割るためのもので当時はワインを3倍の水で割って飲んでいた。 初期の陶器の装飾には円三角形波線円弧などの幾何学模様が多いがやがて時を経ると交易地だったエジプトやオリエントの影響を受けより写実的な人物や動植物が描かれるようになった。 その後紀元前7世紀頃になると素地の上に黒い陶土液で人物などをシルエット上に塗り潰し目口髪ヒゲ衣装などを針で掻き落とす装飾が登場する。

実はこれこそがこれはその感光性を利用し画像を定着させるもので撮影直前にガラス板に塗るもので…撮影前に液体を塗る手間がなくしかもするとこれを機に薩摩藩ではすぐさま写真術の研究が始まり…文明開化の波が押し寄せるとこの流れを受け1903年小西本店がアマチュア用国産カメラ第1号として製造・販売したのがチェリー手提暗箱である。 今は赤外線で手元が見えているんですが当時は本当に真っ暗な中でセッティングをしないといけなかったので事前に明るいところで何度も練習をしたということなんです。

続いては鑑定士安河内の大ファン安河内先生「先生の」やったら安河内先生が海野さんのことアイドル思うてる感じや。

本人評価額は父の目を信じ80万円。 実は数か月前から両目のまぶたが垂れ下がってきたため病院で治療をしてもらったのだが左目がどうにも治らないので20年前娘が結婚した際65万円で購入したもの。 実は娘の名が妃鶴なので日の出と鶴が描かれたこの図は祝いの席にぴったりだと思ったのだが結婚式の当日急にもったいなくなり飾るのをやめてしまった仕舞っといて…。 本人評価額は買ったときと同じく65万円。 本人評価額はやや控えめの30万円。

更にこの後水が鍾乳洞の天井に染み出すと水に溶け飽和状態になっていた炭酸カルシウムがこれが繰り返されるとリング状になりしだいに中空の管のように伸びていく。 その成長速度は水滴がしたたる頻度や炭酸カルシウムの濃度にも左右されるが…砂粒などを核にして玉状に転がりながら成長する高さ10m周囲16mの巨大な石筍群などが存在し時を忘れ自然の造形美を楽しむことができるまた近年では研究が進みその成分を分析することにより太古の時代の気候変動なども詳細に知ることができるようになった。

田中一村は奄美大島の豊じょうな自然を官能的に描き日本のゴーギャンと呼ばれた画家である幼い頃彫刻家の父から南画の手ほどきを受けるとたちまち天賦の才を発揮。 しかしこれだけでは生きていけず日給わずか450円のそして5年後ようやく60万円貯めると染色工を辞しカネが尽きるまでとの覚悟を決め高価な絵絹に向かい祈るような思いで筆を握ったのであったこうして生まれた一連の作品は暗い森から外界を透かして見るような逆光の視点で南国の明るい景色や強烈な生命のほとばしりを鮮やかな色彩で描きながらも画面全体はあくまで静ひつである。

続いては出張鑑定名場面集後半戦!現場に行きましていろんなお宝に出会うわけですよ。 本人評価額は買ったときのおよそ3倍800万円。 いずれもなじみの骨董商があなたにこそふさわしい名品ですと言いつつ持ってきて本人評価額は堂々の500万円!これはすごい!やっぱり本当に…。 続いては夫の代わりに出場した本人評価額は夫が支払った額と同じく100万円。 続いてはゴルフが趣味の今日はアメリカのゴールドラッシュ時代に採掘されたものでその友人の父が鉱山を経営しておりあるときこの鉱石に一目惚れ。

本人評価額は堂々の250万円。 オープン!ジャカジャン!あちゃ~!もう一度やりましょうか。 まさか!お宝は寛永の三筆…実は4歳の時父のいとこの家に養子に出されたのだが毎日義父母にいじめられ…もうつろうてつろうて。 これはどうしたんですか?手短にいうと30数年前骨董店で発見。 わぁとっても楽しそうですね知り合いの骨董商が…と今回のお宝を持ってきたそうですかなり困ってましたね。 というのもその骨董商は少々怪しい人物で…すると一緒に見ていた夫が開口一番ってすぐ言っちゃったんですよ。

板谷波山は長い歴史を誇る日本の焼物を伝統工芸から芸術に昇華した最初の陶芸家である。 そこで美術学校時代に会得した薄肉彫の技法を器に施しまた素焼きした生地に直接顔料をしみ込ませる釉下彩という技法を用いしかし炎の偶然が左右する焼物で思い通りの色を出すのは極めて難しく釉薬の配合を小数点以下の比率で変えて実験するなどごく小さな結晶が溶け込んだ釉薬をかけて焼くと光が乱反射しまるで朝もやが立ちこめたかのような幻想的な色調になるのである。