池上彰の世界を歩く 今こそ知っておきたい!東洋のパリと激動のベトナム戦争

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この番組のまとめ

ベトナム初の地下鉄工事は日本の援助で進んでるんですね大気汚染の改善が期待されていますそれにしてもベトナムの活力には圧倒されます。 ベトナムがアメリカに勝った秘密は地下空間?入っちゃう。 私はベトナム戦争でアメリカは勝てないんじゃないかと思ったんです。 さぁベトナム戦争の激戦地クチトンネルで池上講義が始まりますまずは場所の確認からしましょうか。 第2次世界大戦後南北に別々の国家が成立します北側にはベトナム民主共和国。

こうしてこちら側には南ベトナム民族解放戦線。 ベトナムの共産主義者野郎。 アメリカが支援した南ベトナム政府はとんでもない独裁でした。 圧政に苦しめられるなか南ベトナム民族解放戦線が生まれます。 資本主義体制の南ベトナムに抵抗する解放戦線は共産主義の手先だ。 ベトナム戦争は南ベトナム軍を援助していたアメリカ軍対見つけたのは…おぉアリ塚ですか?空気穴なんですか?アリ塚でしょうかなんて言ってたんですけど。

撤去作業が続いているのです高性能の兵器を駆使するアメリカ軍に対し南ベトナム解放戦線は徹底したゲリラ戦を展開します独立のためには戦争っていうのは仕方ないことだったと?そうです。 ベトナムは1940年から終戦までの5年間日本が統治しますさぁホーチミンのここホテルマジェスティックマジェスティックホテルなんですがちょっとこの写真見ていただけますか?ホテルマジェスティックがどうなっていたかといいますとここ。

そして安全な場所まで連れていったのですそれぞれお母さんはその後はどうされたんですか?まだ生きてらっしゃるんですか?こうやって見ると本当に50年経った今でも当時のことを思い出します今になってベトナム戦争ってどんなものだったと思います?安全な場所で暮らせるようになった家族のもとをそこにいるこの方こそ…2人は…半年後子どもたちの笑顔やベトナムで暮らす人々の日常などが多く残されています亡くなる2ヵ月前カンボジアのプノンペンからサタさん宛てに手紙が届きました平和を訴えた『安全への逃避』は中学校の歴史の教科書にベトナ

続いての池上君の押さえポイントアメリカ国内ではベトナム戦争で勝利を得る日は近いと信じられていましたそれが1968年1月のテト攻勢です。 しかしアメリカ軍が無抵抗の人たちを殺めているこのあと日本とベトナム戦争のつながりに迫ります「現代史を歩く」今回はアメリカでいちばん信頼されていた「イブニング・ニュース」でキャスターのウォルター・クロンカイトがこう発言しますこの発言で反戦の機運が更に高まります。

ラジオから流れました4月にベトナムで『ホワイトクリスマス』が流れる。 だからこうしてアメリカ大使館にアメリカ人たちがあるいはアメリカ大使館で働いていたベトナム人たちが殺到し…。 ファンさんは兵士として解放戦線と戦いました南ベトナムが負けたときに殺されるんじゃないかって思いませんでした?フィンさんは治安を守る警察官でしたアメリカとベトナム。