様々な理由がキッカケとなりこの孤児院にり着いた子どもたちばかりだといいます。 今から5年前もう育てるお金がないという家庭の貧困が理由でこの孤児院に来たという10歳のヤヤちゃん。 両親が育児放棄したため5年前の1歳のときにこの孤児院にやってきて今では近くの小学校に通っているのですが…。 そんな孤児院のカンボジアで孤児院を運営し貧しい子どもたちの親代わりとして奮闘している後藤勇太さん。 この日孤児院を離れ勇太さんは一人どこかへ向かっていました。
しかも勇太さんはカンボジアにやってきて孤児院で子どもたちを救うことになったのか?そしてその裏には自身の無力さを痛感させられた波乱万丈の人生ドラマがあったのです。 カンボジアでごく普通の家庭でそんな勇太さんがそんな夢をみながら小中高と深刻な状況でした。 勇太さんは何もできなかったそのショックは大きく日本に帰国したあとも無気力な放心状態が続きました。 しかしカンボジアで目に入ってきたのはいきなり現地の子ども達が勇太さんに助けを求めてきたのです。
日本でも有名なインドネシア版のチャーハンナシゴレンやこちらはそして鶏の唐揚げアヤムゴレンなど…。 そしておじいさんにあたるこちらの正治さんが謎の日本食イシイをインドネシアに広めた日本人その人だったのです。