世界!ニッポン行きたい人応援団【日系移民・母の想い…織田号泣】

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この番組のまとめ

ニッポンご招待から3年着物を愛するハンガリー女性から…。 日系人の女性がニッポンで20年ぶりに最愛の家族と再会。 ニッポンのある物を愛してやまないキャンベラ在住の方から連絡が。 ニッポンの台所に欠かせない包丁。 刃渡りが長く切った断面が美しい刺身包丁など和包丁はニッポンの食文化とともに変化し今ではその数50種類以上あるとも…。 包丁を愛するレイラさんニッポン到着。 2人のニッポン滞在は撮影進行中。 その中でニッポンご招待後驚きの進化を遂げた人たちから…。

そのお金でこれまで80種類の和菓子を作ったそう。 老舗の伝統を守るかたわら和菓子と茶道のすばらしさを国内外に発信。 特にお茶席での四季折々の上生菓子は白餡などを使って自然を表現する京都ならではの和菓子作り。 驚きの新作和菓子を披露。 実はエリシュカさんイメージは湧いてきましたか?季節ごとに新しいお菓子を作る際は必ず先にイメージをスケッチするそう。 帰国後時間を見つけては描きためているという和菓子のイメージスケッチ。

エリシュカさんもジュジャンナさんもホント日本で勉強されたことを更にレベルアップして。 和菓子屋さんのご主人が自分とこの従業員に「お前らもちゃんとやってくれよ」ってプレッシャーかけてましたけどね。 日系の駐在員が多いシアトルではたいていのニッポンの食材がそろっている。 WelcometoJapan!早速ニッポンご招待を伝えるため…。 ちなみに関西では三角形が一般的でニッポンで初めて食べるいなり寿司の味は?冬限定で出しているという柚子いなり。

アメリカではシャリを握ってから油揚げに入れていたジェシカさん。 八千穂寿司の皆さんからは…。 茨城県産の茹でたてのそばをそばつゆで味付けしジェシカさんを虜にした蕎麦いなり。 ジェシカさんに蕎麦いなりの作り方を教えようと地元の方々が集まり…。 そして爆発的人気を誇るいなり寿司を食べてみたいと六本木へ。 熊本産の南関あげという大判のあげを用いたいなりの具材は?え~!なんとレーズンバターを使ったいなり寿司。 ニッポンのいなり寿司の奥深さに大満足のジェシカさん。

中でも当時ほとんど作られていなかった大豆作りは日系人がパラグアイ全土に広め世界第4位の輸出国に成長させた。 想像を絶する苦難を乗り越えパラグアイの発展に貢献してきた日本人移民。 えぇ!パラグアイでは幼児期から日本語や日本文化を学ぶため「君が代は」子どもたちに話を聞いてみると…。 日本語のレベルが高いイグアスでは家族がニッポンへ出稼ぎに行くのが当たり前で仕送りをし家計を助けているという。 3年前に眞子さまがパラグアイを公式訪問。 ソフィアさんの父栄助さんは15歳のとき長崎から家族でパラグアイに移民。

パラグアイの子どもたちにもニッポンの作法や礼儀を伝えたいと奮闘。 一方弟たちもそれぞれ家庭を持つと家族に少しでも楽をさせてあげたいと賃金のよいニッポンへ出稼ぎに…。 ソフィアさんも40年前に教育研修のためニッポンに短期留学を果たしたものの半年でパラグアイに戻り教師一筋の人生。 元気なうちにニッポンにいる弟たちに両親が伝えられなかった思いを直接会って伝えたい。 ソフィアさん大丈夫ですかね?20年以上会っていない弟に会うためニッポンにどうしても行きたい。 そのため定年後も貯金を続けているソフィアさんだが…。

亡くなった両親のふるさと久賀島があるのは雄大な自然と美しいキリスト教の教会群が残る島は実はここ女優川口春奈さんの出身地でもあるんです。 父栄助さんと母ツマさんはまだ中学生だったおよそ80年前時をほぼ同じくして家族に連れられ久賀島をあとに。 裸一貫でパラグアイへと渡ったため島にいた頃の写真や思い出の品をそして2人が生きた痕跡を探しにいざ久賀島へ。 まずは戸籍の住所を頼りにパラグアイに渡る前幼かった父栄助さんがきっと遊びまわっていた海岸。

島の歴史と思い出が詰まった教室にもインスピレーションを受け創作活動にいそしんできた松井さん。 お帰りなさい!お帰りなさい!五島列島は古くからの教会が数多く残り全国でもカトリック教徒の割合が多い地域。 ソフィアさんの母ツマさんが教徒なら教会に洗礼の記録が残っているかもしれないと知り合いの神父さんに連絡してくれていたんです。 連絡をくれた神父さんのいる教会がある福江島へ戻ることに。 久賀島をはじめ五島列島にある教会の記録を管理しているソフィアナカヤマです。