復興会社が手がけた数々の建物。 だから 私たちは…当時 国は 戦災復興の対象として全国115の都市を指定。 長崎の復興を目指していち早く動いたのは市民でした。 原爆投下の5か月後国の戦災復興院が発行した文書です。 「市民の会社で復興推進」。 設立趣意書には 市民による復興への意気込みがつづられています。 そのころ 長崎には2万3,000人もの進駐軍が市民による復興会社…この市場も原爆で がれきと化しましたが中部の言葉が残されています。 全国の戦災復興を調査しています。
更に 大長崎建設は新たな業務に取りかかります。 それは 復興の基礎となる区画整理です。 区画整理には 所有者から 土地を提供してもらう事が必要です。 だから どうしようかってお互いに 県も市もね大長崎建設が発行した地券が保管されていました。 大長崎建設への信用で支えられた業務でした。 原爆投下の4年後区画整理の仕事は県に引き継がれました。 大長崎建設はその後も 本業の建設で復興を支えていく事になります。