在日コリアンが最も多く住む大阪市生野区。 在日コリアンと 日本人の保護者が中学校の PTA運営をめぐって対立した事もありました。 日本人と在日コリアンは互いの違いと向き合いながら何を目指してきたのでしょうか。 在日コリアンと日本人の 混成バンドです。 そこに至るまでに 在日コリアンと日本人の葛藤の歴史がありました。 17歳の時朝鮮半島の チェジュ島から当時 朝鮮半島は日本の植民地支配の下日本語教育が徹底され皇民化政策が進められました。
中でも最大の規模を誇った朝連は労働問題の解決や民族教育の要求など在日コリアンの権利獲得に力を入れていきます。 「朝鮮半島での大きな暴動と連携して在日コリアン 特に 大阪地区の異端分子が デモを起こし他の民衆争乱を助けるかもしれない」。 GHQは 既に文部省に指示し日本の教育法に沿わない朝鮮人の学校を閉鎖しようとしていました。 4月26日 大阪府庁での抗議集会には在日コリアンの生徒や教師更に一般市民も加わり多数の警官が動員され放水を開始。
大阪では 日本の学校へ行かない在日コリアンの子供をそれまで 公立学校での民族教育は民族学級が中心でしたが大阪市は 在日の生徒だけが通う公立の中学校を新たに設置します。 猪飼野の近くに開校した大阪市立 西今里中学校です。 卒業後西今里中学校へ進学しました。 西今里中学校では日本人と 在日コリアンの教師が共に教えていました。 在日コリアンが多い公立学校に対し教師の定員や予算など1955年「在日本朝鮮人総連合会」いわゆる 「朝鮮総連」が結成されます。
「岸総理大臣は2日の衆議院予算委員会で朝鮮人を送り返す問題について人道上の問題でもあるので北鮮へ帰国する者についてはその希望に沿うようにしたいと政府の方針を明らかにしました」。 帰国事業は 日本と北朝鮮両国の赤十字社の協定によって当時 30代だった キム・スニさん。 在日コリアンの「協定永住権」が認められ対象者は 戦前から日本に引き続き居住している人やその直系の子孫などとされました。