100分de名著 西田幾多郎“善の研究” 第3回「“純粋経験”と“実在”」

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この番組のまとめ

第3回のテーマはこちらの 「純粋経験」と「実在」なんです。 「純粋経験と実在」だったんですね若松さん。 ちょっと まず今のとこではですねこの「純粋経験」という言葉と「実在」という言葉が言葉上は違うんだけども実在とは現実そのままのものでなければならない。 若い時から 西田は 「真の実在」とは日常の直感的な経験にあるはずだと感じていました。 その純粋経験でとらえたものこそが「実在」であり物を「有らしめている働き」のことなのです。

純粋経験を通じてのみ 実在を認識できるんだという言い方の方がいまだ判断が加わらず主観と客観が合一している直接的な経験。 それが 純粋経験なのです。 かなり 純粋経験と直接経験に近くてあの音そのものはあの競技を かなり理解するんです。 何か その江戸時代が終わって倉田百三は 心に大変大きな病を抱えてその時に西田と出会って今 お話があったような経験をしていくわけなんですよね。

そこで やっぱり倉田百三が経験したのは本当の意味での自由だと思うんですよ。 例えば 一生懸命に断崖をよじ登る時や立体的に その曲全体を頭の中にイメージすることができたといいます。 柳宗悦という人は あの「民藝」という言葉をつくった人ですね。 ですんで柳は 今日 出会うことと明日 出会うことじかに見るっていう。 もう いわゆる純粋経験ですね じかに。 一方の西田もですね 純粋経験を妨げるものとして 3つ挙げています。