西田哲学の根本である「純粋経験」と「実在」について今月は 西田幾多郎の「善の研究」を取り上げています。 日本一難しいとも言われる哲学書ですが伊集院さん ここまで いかがですか?まあ ここまで理解できたとはまあ言い難いんですけども少なくとも僕 携帯の待ち受けに前回終わりから「主客合一」っていう言葉を入れてみました。 第3回のテーマはこちらの 「純粋経験」と「実在」なんです。 「純粋経験と実在」だったんですね若松さん。
同じものと言っていいんですか?同じものというよりも ここではですね純粋経験を通じてのみ 実在を認識できるんだという言い方の方が正しいかもしれません。 …しててきっと あ 実在してるっていうことは今 僕が純粋経験をしたということですよね。 では もう一方の「純粋経験」について詳しく読んでいきましょう。 それが 純粋経験なのです。 いい悪いではない 多分「言葉」というのももちろん眼鏡なわけですけどもあとは まあ自分の「価値観」 「人生観」いろんな眼鏡があるんですよね。
何か その江戸時代が終わって倉田百三は 心に大変大きな病を抱えてその時に西田と出会って人生と真摯に向き合うが故にねそこで やっぱり倉田百三が経験したのは本当の意味での自由だと思うんですよ。 例えば 一生懸命に断崖をよじ登る時や音楽家が 熟練した曲を演奏する時。 柳宗悦という人は あの「民藝」という言葉をつくった人ですね。 民藝というのは名無き人が作ったものなんですけども名無き人が作ったものをじかに見ることができれば我々はそこに本当の美を見いだすことができる。