新政府軍が迫り来る中…戦火に包まれた幕末の会津。 しかし 城に籠もる事を拒否し…それが…家老として 会津藩の力の限界を知る 西郷頼母は幾度となく 戦いに異を唱え主君に進言します。 その直後…その美しさから 「会津富士」とも呼ばれる 福島の名峰…後に復元された屋敷の敷地面積は…頼母の屋敷が描かれているのは城の真正面です。 会津藩主 松平容保に…危うい立場に追い込まれましょう。 危機感を募らせた頼母は会津防衛の任務に就きながらも…「都と 天皇を守ってきたのは自分たちだ…」。
今更 何を申す!このあと 頼母にとって予想外の事態が起こり…足手まといになるまいと命を絶った 頼母の妻 千重子たち。 私もですね 小さな子供今 おりますので同じぐらいの子供たちが自刃していったというような事を感じますと西郷頼母を写したものです。 会津戦争のあと ふるさとを離れ流浪を続けた頼母。 城への総攻撃に備え 決死の覚悟で陣頭指揮に当たっていた 頼母。 藩士たちは現在の 青森県の斗南藩の他…最初に 足跡をとどめたとされるのが伊豆半島現在の静岡県 松崎町でした。