日本の話芸 講談「寛永三馬術 出世の春駒」

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寛永11年 正月28日二代台徳院殿秀忠公の御命日。 よって 現将軍 徳川家光は墓参の お触れを出しお供の大名 36頭 前供 後供粛々として大導師の ご先導にて 本堂に。 今 愛宕山円福寺の下まで さしかかってまいりましたる時に折しも山上から吹き下ろしてくる風は肌をも刺すようでございますが馥郁たる梅花の香りが将軍家の鼻を貫きました。

この時 松平伊豆守おそばに進み出で…。 松平伊豆守の前に進み出し 一人の武士。 四国 丸亀の城主生駒雅楽頭の家臣十分な身支度をいたしやや あって馬上の人になり悠然と 立ち現れました。 歩く度ごとに ヒョコタン ヒョコタン ヒョコタン。 あきれ返って 見ておりますとヒョコタン ヒョコタン将軍家の御前に 馬を進めました。 第一あっしはね 去年の暮れから神経痛で 左足が 思うように動かねえんですから…無理です 勘弁しておくんなさい」。

南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」。 愛宕山円福寺の ご本尊は将軍地蔵菩薩。 合掌をいたしまして片げに来ると梅園に 源平の梅花が時を笑顔に咲き競っておりますので紅梅と白梅枝ぶりの良い所を切って落としこれを 白紙でもって根元を しっかり 巻きつけると襟元に差しましてヒラリ 馬上の人になるとあの愛宕山の正面の 急な石段が男坂で 脇から下りる 緩やかな坂が女坂でございます。