どうやって未来像を作っていってそこで 気持ちをどう持っていくのかというのが今回 短歌を詠む事によって心の復興みたいなね東日本大震災から 2年。 俳優 中村雅俊さんが歌を詠んだ人々のもとを訪ね今回の震災で3人の親戚を亡くしました。 向かったのは ふるさとと同じく三陸海岸沿いの町…やっぱり自分が絶望感に落ち込んだ時に後藤さんの生命力っていうか作者の後藤善之さんにかつて自宅があった場所でお話を伺いました。 そんなふうに感じ始めていたやさき東日本大震災が起こったのです。
宮城県の気仙沼高校に通う…私の祖母が安置されている体育館に 祖母に会いにいった時祖母は津波で亡くなったんですけど本当だったら すぐに右手を出していつものように手をつないだり抱きしめてもらったりするんですけど触れちゃいけないっていう条件付きだったのですぐに届く距離なのに届かない 触れないっていう最期のお別れだったのに触れられなかったのがどんなおばあちゃんでした?いつも笑顔で私とは別に住んでいたのであまり叱られる事はなかったんですけどいつも励ましてくれたりおじいちゃんに叱られた時は味方になって優しくしてくれた
まあ あれも これもとかいろんな いい事悪い事ありますけどでも この津波だけは三度 来てそれも大津波が押し寄せてきてあら どうも はじめまして中村といいます。 80年前の昭和三陸地震の津波。 2年前の大津波では自宅が壊滅的な被害を受けまた 姉と甥を亡くしました。 ときさんの娘 稲子さんが中村雅俊さんのために料理を作ってくれました。 中村雅俊さんもふるさとで味わっていたという懐かしい味です。