NHKスペシャル「従軍作家たちの戦争」

戻る
【スポンサーリンク】

ここに書いてある この兵士の一兵士のね太平洋戦争が始まると陸軍は 多くの作家を徴用し「日本の兵隊の美しさと武士道を話す」。 火野の芥川賞受賞に とりわけ注目したのは陸軍の報道部だった。 報道部の馬淵は 南京をめぐって展開された 中国側の宣伝に対抗していく必要性を痛感していた。 南京攻略戦に続いたのが火野の抜擢を 陸軍のメディア戦略との関わりで調べている。 支那派遣軍は南京戦の報道をめぐってですから 恐らく火野葦平も自分に 何が期待されているかという事は よく分かっていた。

しかし 介石は抵抗を続け日中戦争は 泥沼化していく。 日本の視点から描かれた日中戦争の実相を国際社会に伝える大きな役割を果たした。 「土と兵隊」は 陸軍の全面協力の下映画化され撮影には現地の部隊が参加した。 ペン部隊の結成には軍部とともにマスメディアを統制する機関内閣情報部が関わっていた。 菊池自身も海軍のペン部隊の一員となり吉川英治 佐藤春夫 吉屋信子が中国戦線に向かった。 日中戦争勃発の年に生まれた…「麦と兵隊」のあと 「土と兵隊」「花と兵隊」 書くんですけどその印税で建ったのがこの家なんですね。

とりわけ アメリカの植民地だったフィリピンには尾崎士郎や石坂洋次郎などの作家とともに日本軍は開戦直後に フィリピンに上陸。 5万を超える捕虜たちが送り込まれたのがオードネル捕虜収容所だった。 フィリピンの人たちに向けた英語雑誌。 オードネル捕虜収容所では多くのフィリピン人捕虜が病で 命を落としたという。 精神教育が終わると 日本軍は捕虜を解放し 故郷へと帰した。 そのころ 日本では情報局の指導の下この年の11月には 第1回大東亜文学者大会が開かれた。