日本の話芸 講談「黒田武士」

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博多 黒田52万石福岡藩の藩祖がこの官兵衛でございまして黒田官兵衛孝高 号して 如水と名乗られる方でございます。 1年後に 秀吉とそれから 黒田の家来たちが助けに来ましたけれどもこの 助けに来た家来の中に母里太兵衛という人物がございました。 そして 天下分け目の 関ヶ原の合戦という事になるんですがこの時に 官兵衛は東軍 徳川家康に惚れ込んでこちらに つく事になります。

で この母里太兵衛もその一人といわれておりまして斗酒 なお 辞せざる酒豪という事になっております。 実は 「黒田節」という民謡にこの母里太兵衛の事は歌われております。 母里太兵衛 今では 如水の息子長政の家臣となっております。 この母里太兵衛という人ある日のこと 主人 長政から呼び出しを受けました。 「黒田甲斐守長政の家臣母里太兵衛と申す。 「お言葉にはござりまするがこの母里太兵衛 酒は不調法。 母里太兵衛むっくりと 頭を上げました。

なみなみと 注がれた大盃両手に受けて見つめておりました母里太兵衛。 どうじゃ? 太兵衛いま一献 傾けぬか?」。 2杯目もなみなみと 注がれた大盃見つめておりました太兵衛口をつけますと グ~ッ。 かつて 帝より関白秀吉公に賜りし物を戦場抜群の功によって正則公が拝領致したる「日本号」と名付けし 天下の名槍。