NHKアーカイブス モノづくり日本 再生への道しるべ(2)カリスマ経営者の言葉

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厳しい状況に置かれています一代で世界的企業へと育て上げましたNHKアーカイブスには モノづくりにこだわった 本田さんの経営理念を描いた貴重なドキュメンタリーが残っていますCVCCエンジン。 本田さんが 遺した言葉から日本の産業再生への道を探ります「シリーズ モノづくり日本再生への道しるべ」2回目の今日も ノンフィクション作家の山根一眞さんと ご一緒にお伝えしてまいります。

本田さんが戦後 最初に作ったのは自転車にエンジンをつけた通称 バタバタ。 バイクを作っていた本田さんとトランジスタを作っていた井深さんが出会ったのは昭和30年代の初めの事です。 モノづくりに熱中していた2人はすっかり 意気投合したのです一番 大声たてて笑ったのは自分でね…通信簿を見られるのが嫌でね自転車のゴムを削って簡単に出来たんだ。

戦争中 国防色が幅をきかしていい生地で もんぺを作って真っ赤な車が高度成長を続ける日本の町を駆け抜けていきました日本の企業を論じたある評論家が「ソニーは 大企業が大量生産を始める前のモルモットだ」と言ったのです確かにそうだったんですね。 粋に感じた社員が金のモルモットを井深さんにプレゼント。 「日本よ モルモットの後を早く ついてこいよ。 俺は もっと先に 次のものを開拓するから」という冗談じゃないよ!モルモットどころか パイオニアなんだよ!本田さんの怒りは どこ吹く風。

日本が 高度成長をひた走った頃個人を捨て 会社のため一丸となって働く姿がもてはやされました将棋でいえば一枚の歩に 徹していましたとんでもないでかい歩ですよね 本田さんは。 いやいやながら やってたらいい仕事は 絶対できないけど1か月後 本田さんのF1エンジンがよみがえりました若い連中には 何度も言ったね。 復活した車が運び込まれました中嶋選手は本田さんのエンジンで 育ちましたとにかく 30年近く前にこういったものを作られて自信を持って挑むという事じゃないでしょうかね。

引退のきっかけになったのはエンジンの方式を巡る若手技術者との意見の食い違いでした本田さんは 45歳の若い技術者を次期社長に指名して身を引いたのです殊 技術についちゃ社長も社員も ないんだよ。 引退してから10年後鈴鹿サーキットで開かれた創立35周年 記念式典ですあの時の技術者でしたもう一つは お礼を厚く申し上げなきゃならん事はこの町なりこの地域の皆様が…。

本田さんのスケッチブックには名もない草花や ふるさとの風景大好きだった富士山。 最後に一つメッセージが 残されていました1991年放送のNHKスペシャル「我が友 本田宗一郎」。 この番組 ず~っと通して見てあっ ホンダというものはあるいは 本田宗一郎というのは私たち日本人そのものなんだなという。 本田さん亡くなって もう20年以上たつんですけどもどうなんでしょうか?今も ホンダイズム 生きていると思ってらっしゃいますか?驚くべき事ですよ。