日中戦争から太平洋戦争にかけて旧日本軍主力戦闘機。 ゼロ戦を中心となって設計したのが堀越二郎です。 この主人公のモデルとなったのが堀越二郎です。 堀越二郎が暮らしていた家です。 堀越二郎とゼロ戦への関心が高まる中その研究に役立てばと公表することを決めたといいます。 群馬県藤岡市で生まれ育った堀越二郎。 堀越は入社後まもなくおよそ半年間アメリカに滞在して工場の視察などで得た情報を詳細に書き残していました。
取材で本当によく会われていた堀越二郎さんですが、新たに見つかった資料ですね、あれは柳田さん、どうご覧になりました?一つは、設計者がどういうプロセスで最高の性能、不可能と思われた性能を達成していくか、そのプロセスがですね、非常によく見えるようになってきたというのが、まず第一に挙げられると思うんですね。
それを達成するのが精いっぱいであって、この戦闘機が、設計して完成した昭和12年から15年にかけての段階で、今回の直筆原稿から泣いたという文字が見えましたが、あのあたりはどうでしょう?結局、戦争に加担してしまったという後悔なんでしょうか、それともどういうふうに読み解かれますか?これはやはり、無念の思いというのはあるでしょうね。