NHKアーカイブス モノづくり日本 再生への道しるべ(3)独創的研究を産業に

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大容量の情報を やり取りする技術の一つに光通信がありますその基本要素を発明したのは当時 東北大学の教授だった…しかし 日本では特許を出願してもなかなか認められずNHKアーカイブスには光通信の実用化を目指した西澤さんの闘いを描いたドキュメンタリーが残っていますはっきり残しとくべきではないか。

この半導体分野から出る仕事が一番大きな 社会的なインパクトとか人間に対する 大きな…生活レベルを上げる手段にすばらしい独創開発っていう事をやっていかなかったら日本民族の明日は ないんだと…。 毎週土曜日半導体研究所で開かれている…プロジェクトチームの若い工学博士たちがそれぞれの実験結果やデータ分析などの研究発表を行う。 あの厳しさっていうのはどう受け止められます?やっぱり学問的なエッセンスといいますかね基本的な事だと思いますのでいい加減にするなって事ですね。

まず 入り口で電気信号を光に変える…この3つの要素のいずれが欠けても光通信は 成り立たない。 結局 外国のまねしてれば無難にやれるというふうな昭和28年 光通信の第一歩となったpinダイオードの特許を取得する。 一方 アメリカでは ゼネラル・エレクトリック社が18日 後れて同じようなダイオードの特許を出願。 日本の企業は 競ってゼネラル・エレクトリック社と特許契約を結び始めた。 この結果 日本の企業は数千億円に上る特許料をアメリカに払わずに済んだという。

昭和38年 IBMが半導体レーザーの開発に成功。 彼は 外国での特許を出願する資金的余裕は なかったがIBMや ゼネラル・エレクトリック社にこの分野では一歩 先んじていたのである。 半導体のパイオニアとしてアメリカの専門誌にも大きく取り上げられた。 それから フランス映画が大好きで1週間のうち 5日間映画館に行って3回ずつ見たという記録を持ってるんですけど。

西澤教授が考案した管は繊維状の細い透明な個体で二重構造になっており光は その中心部を屈折しながら進んでいく。 西澤教授は光ファイバーを実現するためメーカーを説得に回る。 ピアース博士 帰国後アメリカでは 本格的な光ファイバーの試作が始まる。 昭和45年特殊ガラスのトップメーカー コーニング社が世界で初めて光ファイバーの試作に成功する。 西澤教授が 特許を出願してから6年後の事であった。 現在 日本の光ファイバーメーカーはコーニング社に 特許料を支払っている。

鹿児島の間3,400kmを結ぶ光ファイバーケーブルの日本縦貫ルートが完成した。 また 太平洋を横断して日本とアメリカを光通信で結ぶ計画もこのほど 発表された。 アメリカでは スリーマイル島の事故以来原子力発電所の建設がストップしている。 恐らく これでやがては 日本のメーカーさんも使ってくる事になるだろうと思いますけれどもアメリカの場合には 非常に素直でいいものがあればすぐ使うんだという姿勢がある訳ですね。

これも やはり 向こうが ホントに欲している技術というものの開発に成功致しますと世界中から 頼まれるという状態で輸出ができるんではないかというふうに考えましてそんなようなものの実例を後世の日本民族のために 少しでも一つでも 余計に残してと思っている訳でございます。 日本の電力研究所に持ってったら見向きもしないけども支持が来たっていうのは先生の訴えたいのは日本においては産学協同というのは非常にないんだと。

さっきのVTRの中に出てきましたけれども結局 日本が… 西澤先生が特許を発明したにもかかわらずアメリカのコーニング社っていうこれは すごい会社なんですよやっぱり ガラスメーカーですけどもね。 特許についてですねその考え方というのは日本と アメリカとどのように違うかっていう事は昔… 30年近く前と 今とはどんなふうに 状況が変わってると思ってらっしゃいますか?育っているかなって事がちょっと心配ですね。 iPS細胞を巡って激しい研究開発競争が行われている アメリカ。

HondaJetがなぜ 日本じゃなくてアメリカに拠点を持って開発してるかこれ 社長に伺った事あるんですけど日本で そういう新しいジェット機をつくって試験飛行したいって言ったら滑走路 使わせない。 それは ずっと この番組のテーマでもありますけれども多分 明治維新以降日本が 非常に急速に近代化をするために何を 必要としたかといえば海外で 既に出来上がってる技術を持ってきて 買ってきて取り入れて発展させる事によってものすごい短期間に近代化を成し遂げる事ができた。