NHKアーカイブス▽日本アニメの開拓者・手塚治虫~“鉄腕アトム”放送から50年

戻る
【スポンサーリンク】

♪~1963年 ブラウン管に国民的ヒーローが登場しました日本初の 連続長編テレビアニメです。 日本アニメを切り開いたのが「鉄腕アトム」の作者 手治虫。 NHKには手治虫の創作の現場に迫ったドキュメンタリーが残っています何か 不気味なもんだね。 先生は スタジオと…漫画とアニメの間を 行ったり来たり。 よろしくお願いしま~す!都内某所のマンションに漫画の神様と呼ばれる手治虫の仕事場があります。 取材班は 初めてこの創作の密室に入り漫画の神様の創作の秘密を探り出そうとリモートコントロールカメラを設置しました。

3本の連載漫画が同時進行で執筆されます。 少年漫画のファーストシーンを描いていたかと思うと次の瞬間には時代物のラストシーンを描いています。 その一瞬に見た画面がヒントになって壮大な長編漫画が生まれる事もあります。 手漫画のヒーローたちは秒刻みの時間に追われ眠気と闘いながらこの狭い空間から 大空を目指して羽ばたいていったのです。 大阪大学医学部の学生だった手治虫は二十歳の時 「マアチャンの日記帳」でデビューしました。

ヒョウモンチョウとか今の クロアゲハみたいなもんとかねどんどん時間を決めて通っていく訳。 宝塚で過ごした少年時代の思い出は手漫画の随所に登場しています。 漫画の神様の脳裏にはこれまでの体験や知識が全て インプットされています。 もう明日が締め切りだとか今日の晩が締め切りだという時になってがぜん ムラムラッとインスピレーションが湧いてくる。 事務所に顔を出すと直ちに 漫画の製作室に入りスタッフと入念な打ち合わせをします。

五十日と呼ばれる日には神田 神保町に早朝から 長蛇の列が出来ます。 この日に発売される新刊本を一冊でも多く手に入れようと関東一円から 書店主がここに集まってくるのです。 好きでというかゾルゲに すごく興味を持っていてゾルゲの評価が 戦時中と戦後でがらっと 180度 変わってあれほど 評価の変わったスパイはいないと思うんだけど。 そこに 第三者を 一つ作って第三者を 両方に絡ませる事で話を作っちゃおうというのが僕の発想のしかたなんですよね。 サンキュー ベリー マッチ。

昔 僕の漫画というのはヒゲオヤジにしても アトムにしてもみんな 丸から発想したもので丸っていうのはいとも簡単にお月様でも太陽でも描けたんだけど今 その丸が描けなくて上へ パッと 勢いづけて持ち上げる線は描けてもそれから きれいに 下へ持って下りる時に ペンが震えるんです。 これは 僕の絵にコンプレックスを自覚してから自分で変えよう変えようとしてる。

言わないけれども直してる訳ですからさまざまなものがどうなんでしょうご自身の中にですね 名作作ってらっしゃいますけれどもやっぱり 影響は大きいですか?例えば 手原作の「陽だまりの樹」を 僕は亡くなったあとテレビ番組なんかする時に体を支える命というのも生命なんだけどその生命に関しては人間だけじゃなくて犬でも 虫でも みんな一緒の生命。

一番最初に 僕が 小学校5年生か6年生の時にアニメ 作ったものはねヒゲオヤジを主人公にしたそれでカメラは 8ミリのカメラなんだけど1コマ撮りのカメラじゃないんです。 手さんは 一本の国産漫画映画と出会うのです。 その当時の全体の傾向としてはですねもう ディズニーとか フライシャーが漫画映画は これだけの人材とこれだけの時間とお金をかけなければ作れないんだぞというね雲の上のような存在みたいなものにしてしまった嫌いがあってね。