スーパースターの林家木久扇でございます。 木久扇になりまして7年目でございまして7年前に 伜が真打ちに昇進致しまして「お父さん僕なりに頑張ったんで何か ご褒美 頂戴よ」と言うものですから「何がいい?」って聞いたら「お父さんみたいにいっぺんに 有名になりたい」とこう言うもんですから「ちょっと待ってね」って。 「林家元木久蔵」。 「林家木久蔵B面」。 「何か いい名前ないかな」と思って一生懸命 探しましたら林家木久扇というのが2通ございまして。
「バカヤロー コノヤローバカヤロー コノヤロー バカヤロー コノヤロー」。 それを 大変だっていうんで師匠が定期券自分で 上野の駅に買いに行ってね私に くれたんです 半年分ね。 で 師匠が亡くなりました時にね遺品を分けて下さるっていうんでご遺族がね長屋に いらっしゃって師匠の遺品を いろいろ弟子が もらったんですよ。 この人は変わった人でございまして春日部生まれの 大変 何かお百姓さんだった親父さんの伜さんでございますから純朴なんですけど意表を突く人なんですよね。
昭和36年に 私 入門致しまして西荻窪っていう所からずっと 師匠の所へ通っておりましてね朝の8時半までに師匠の家へ行くんですよ。 そうすると 師匠はお弟子さんが8時半に来るからきちんとしてなくちゃいけないって 几帳面な方でございます。 うちの師匠は偉いな」と思って邪魔にならないように後ろに回ってね 一緒になってバスケットボール 見てたんです。 まあ 師匠は 頭の中に350 古典落語が入っていた方でございます。
先方は 京都の さるお屋敷にご奉公をしていたという」。 大きいお屋敷にご奉公をしていたという。 年は21 器量は十人並み読み書きができて輿入れの際には たんすの一棹も持ってこようって人だな」。 「何で そんな立派な人があっしみたいな貧乏所帯に来てくれるんですか?」。 先方に話をして吉日を選んで 輿入れって事にまとめてくるからそのつもりで いるんだよ」。 何はなくとも お頭付きといきたいがお前の貧乏所帯じゃ 無理だ。 大家さんが 私にカミさん世話してくれると思わなかったな。
俺はね 七輪の火おこしてパタパタ パタパタ あおいでりゃな自然に 七輪の火なんかおこっちまうってカミさんが飯を食う度チンチロリンなんて事いうね。 バケツみてえな でっけえ丼鉢に材木みてえな太え箸で飯を食う度に ガンガラガン。 向こうが チンチロリンというと俺の方が ガンガラガン。 口がでっけえから ザックザクだ。 サックサクのザックザク。 たまには たくあんの尻尾か 何か かじるからね向こうは ポリポリなんて俺は歯が丈夫だから バリバリ。 チンチロリンのガンガラガン サックサクのザックザク。